« 神田神保町古書街 | メイン | 神田・神保町古書街 »

「複製される人」を読む

 この本は、人のクローニングと遺伝子操作の是非を、生命科学・生命倫理の二つの観点から検討したものである。
 本題に入る準備として、まず、精子と卵子の売買・代理母契約(妊娠請負)を含む人工授精の進化の歴史について、生命科学と生命倫理の観点からまとめている。
 それを踏まえ著者は人のクローニングと遺伝子操作の過去・現在・未来について整理し、現在、人にこれらの技術を適用することに対して過半数の反対があるものの、生命科学面での技術的課題克服は充分可能であり、また生命倫理面でも問題は無いし、将来の人間の能力の飛躍的改良につながる以上これを活用すべきとの見解をのべ、筆を置く。
反対が多い理由を著者は、1)生命の定義:身体的生命と意識(精神的生命)の二面性に対する理解不足、2)科学とは異なる宗教をはじめとする思い込みの強さにあると、分析する。
 「複製される人」 リー・M・シルヴァー、翔泳社、1998

* 独断と偏見
 ・独断: この本の長所は、人工授精に始まり、クローニングと遺伝子操作に至る過去・現在・未来を生命科学・生命倫理の観点から、これらの技術の人間への適用についての多くの反対者の見解にも充分に目配りもしながら、要領よく論点を整理し・まとめられており、この領域の全体像を掴むのにはお勧めの一冊である。
 ・偏見: 本書の最大の問題(同意できないところ)は、直接触れられていない著者の前提にある。
1)“進歩”へのあくなき信仰:遺伝子の改良=人間の改良というダーヴィニズム的前提に立っているが、意識面での人間は改良されていくのか、現実を直視すれば、むしろ悪化しているのではないか。
2)“ジーン・リッチ=人間改良”との見解のベースにあるのは、ジーン・リッチの人間がより“価値の高い人間である”との価値観。この価値観がもたらすのは、ジーン・リッチか否かにもとずく新たな差別社会の創出。
ジーン・リッチか否かは、特徴の違いを意味するだけであり、価値の差を意味しない。
* 独り言
 極楽トンボも、あなたも、全ての人間は、それぞれの遺伝子型を与件としてこの世に生を受け、個人に選択の余地は無い。
 一人一人の人間にとって、人生とは、遺伝子型にかかわりなく、与えられた環境の中で人々・社会・世界と刻々と新しい関係を作り上げ、“一回限りでかけがえの無い自分らしい”価値を生み出すことに他ならない。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://yosim.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/2087

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)