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「死をみつめる心」を読む

 本書は、数ヶ月で命を奪う黒色腫(メラノーム)という激しいガンに侵され、余命半年と宣告された宗教学者が、死に至るまでの十年間の「死をみつめる心」の記録である。
 宗教学者として、「いろいろな宗教は、この問題(死)を、どう解決するしようとしているか--調べてみた。--多少の例外はありますが、死に対する宗教の教え、解決方法というものには、一つの型がありまして、しかもその一つの型しかない、ということを知ったのです、--その共通の点というのは、人間の生命は、死後もつづくということを主張するところにありました。」「しかし、私の心は、それでは、どうしても納得しなかったのであります。--それは、いいかえれば、私という個人は死とともになくなる、ということであります。」「自分の死後をこのように考えるとしますと、自分にとって、残されているのは、現実のこの世界、この現実の人間世界、そして、今、営んでいるこの命だけ、ということになります。」
 「死をみつめる心」岸本英夫、講談社文庫、1973

 「--だからこそ、、私にとっては、この人生、この地上世界の人生が限りなく、大切になるのです。そうして、最後に死のときがくれば、従容として、この私の世界に別れを別れを告げて死んでゆくことができるように、平生から生きていかなければならないと思うのであります。もし、そうとすれば、私は、この人生を、どういう心構えで生きてゆかねばならないのか。それが次の問題になるのであります。」そして、「人間にとって幸福に生きるかどうかが、いちばん終局的な問題であるあるといってもよいと、信ずるのであります。」、「生き甲斐という感じに裏打ちされている幸福は、死の恐怖に対しても、強い抵抗を示してくれます」という。さらに、「生き甲斐ということは、むしろ、一つの目標をもって、その目標に心を打ち込んで、一筋にすすんでゆくことの中にあるのだ、ということに気がついたのであります」と述べる。
 死については、「人間にとって、大きな、全体的な“別れ”なのではないか。」そう考えたときに、私は、はじめて死に対する考えかたが、わかったような気がした」。そして、「この“別れのとき”があることを思うと、自分の日々の生活に対する態度も、おのずから、身のひきしまったのをおぼえるのである。と同時に、私のこの生き方の一ばん奥には、癌という筋が一本通っていて、そのために、ほんとうによく人生をおくってゆくk0おとができる。癌のおかげで、ほんとうの生活ができるのだという感じがするのである。」とまとめる。
* 独断と偏見
 ・ 余命半年と宣告された著者が、死を見つめる中で、「人間にとっては、きわめて身近にある自分の仕事の中に、意味を発見して、それを打ち込んでゆくことに、人生の本当の幸福がある、ということであります。」という境地で十年間を生き抜く。
 誠実に激しく「癌にならなかったより格段に充実した人生を送った」迫力に脱帽。
 ・ 死については、著者のいうように大別すると、1)死後も生命はつづく、2)死で生命は終わる、という立場に分かれる。
 著者は2)の立場に立って、“目標に心を打ち込んで、一筋にすすんでいき、生き甲斐のある幸福な人生”を送ることを勧めている。
 しかし、1)の立場に立つ既存宗教は、ほぼ共通に“死後の生命”が、“理想世界”に住めるかどうかは、、“この世での生き方の善し悪しによって決まる”との見解をもっている。と、いうことは、1)の立場に立っても、求められているのは、“この世での人生を人は、いかに良く生きるか”にほかならない。
 要は、1)2)の立場にかかわりなく、目ざすべきは、“この世での一回限りの人生をいかに良く生きるか”なのである。

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