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「この最後の者にも」を読む

 「ごまとゆり」などで知られる文学者ラスキンが、古典派経済学、功利主義を批判、人道主義的新経済学の創立を目ざして書かれたのが、「この最後の者にも」である。
 本書は雑誌に掲載(1960年)されたが、新聞や雑誌には酷評または冷笑され、一般世論からの総攻撃を受けて四回で掲載打ち切りされてしまったといういわくつきの本である。
 第一論文で、ラスキンは、古典派経済学派の前提条件「人間を貪欲な機械と考える」の批判から始める。雇用者と労働者の関係を例にとれば、古典派的自己利益追求型アプローチでは、両者を一つにまとめることは出来ない。「両者の間のすべての正しい関係と、両者のすべての最善の利益とは、結局---
正義と情愛によるものである」という。
 「この最後の者にも」ラスキン、中央公論・世界の名著41,1971

 第二論文「富の鉱脈」で、ラスキンは、「貨幣」や「物質的財産」の「蓄積」が「富」であるとの考えを否定する。「少し考えると人間自身が富であること---。事実、富の真の鉱脈は、深紅色であることーー岩石のなかではなく、肉体のなかにあること--」といい、“富を生み出す人間を動かすのは、必ずしも貨幣や物質的財産ではなく、道徳的な力である”と主張する。
 第三論文「地上の審判くもの」の要点は、「不正な手段によって得た富の真の結末は死あるのみ--
。」、「労働者の全運命は、結局この正当な報酬という重要問題に依存している---」、「私の経済学の原理は“剣の兵士があるように鋤の兵士があるべきだ”という一句のなかに含まれている。そしてまた“統治と協力とはあらゆることにおいて、生命の法であり、無統一と競争とは死の法である”の--
一文のなかにすべて要約されているのである」。
第四論文「価値に従って」で、ラスキンは、ミル、リカードゥの富・交換価値・有用の定義を否定する。そして、富の定義として「われわれが使用することができる有用なものの所有」であるとする。つぎに「有用な」の意味として、「それがたんに性質上役に立つばかりでなく、有用に用いる人の手中になければならない」とする。「それゆえに富というのは、“勇敢な人による価値あるものの所有ということである”という。
 また価格についても、「世間に存在する需要の四分の三は非現実的なもので、幻想や理想希望や情愛といったものにもとづいている。だから財布の調節は本質的には想像や感情の調節となるのであるそこで価格の性質についての正しい議論は非常に高尚な形而上学的な問題となり、ときには---ただ感情的な方法によってのみ決定することができるのである」と当時としてはユニークな見解をのべる。
 また「交換」、「利益」、「生産」、「資本」についても独自の定義をおこなっている。
 以上が本書の概要であり、古典派に対してなかなか鋭い批判を多く投げかけているが、狙いとする人道主義的新経済学の体系的樹立には至っていない。
* 独断と偏見
 ・ 極楽トンボが経済学と称するものに常常抱いている不満をラスキンはずっと昔に持ち、自分で答えを出そうとしてしていた、その心意気や良し!
 ・ 極楽トンボの既存経済学に対する疑問は、大きくは二つ。
 1)経済学は学問といえるのか?
   切り口は三つ。
  その一: 前提条件としての人間観: 経済学は、心身一体の人間のさまざまな行為を経済活動という断面で切りとるもの。“学問”としての経済学にとってまず重要なのは人間観。しかし、現在の最先端といわれる経済学もふくめ、前提条件として人間観を定義しているものはほとんどないし、暗黙の前提として透けて見えるのは、心身二元論的人間観である。
 その二 : 対象とする経済活動: 基本的に貨幣のやりとりが行われる経済活動を対象としているが、
それだけが経済活動ではない。具体例をあげれば、環境破壊(インフラ損失)未計上・破壊回復費用計上、医療では、医療費計上・病気予防効果(効用)未計上など。把握困難・不可能は学問として言い訳にならない。
 その三: 価値観問題: 学会の多数派は、社会科学としての経済学に価値観を持ち込むべきでないとの立場。クーンの「科学革命の構造」をもちだすまでもなく、自然科学といえどもその時代の価値観と無縁ではありえない。ましてや、人間の学である経済学では、価値観問題をさけられない、いや積極的に価値観論議を透明化しておこなわずに経済学の存立はありえない。
 2)経済学はなにをなすべきか?
・ 一言でなすべきことは、上記の三つの切り口をふまえて、経済学の真の構築をおこなうこと。
・ 簡略にポイントを整理すると、
 イ)ヴィジョン領域: 経済学はあらゆる領域と連携をとりながら、“めざすべき人間像”それを可能とする“目ざすべき社会像”を描き(複数選択肢)、それを可能とする“めざすべき経済社会像”提示し、方向の決定は国民の判断にゆだねる。
 ロ)分析・政策領域: 上記“めざす経済社会”の実現をはかるための全的経済活動の分析とそれに基づく政策提言を的確におこなう。

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