「ブッダ」(手塚治虫)を読む
本書は、1972年から1973年の足掛け13年にわたり、「希望の友」「少年ワールド」「コミック・トム」に連載された「ブッダ」に若干の手を加え単行本化(12巻)されたものである。
シャカ族の王子シッタルダが出家をし、悟りをひらいてブッタ(目覚めたもの)となり、仏の道を説く一生を書いている。
長編の話を面白く続けるため、架空の人物を数多く登場させ、フィクションもふんだんに取り入れている。しかし、それにより、格調をおとすことなく、ブッダの説いた仏道とはなにかを、漫画という視覚的手法の強みを逆に活かしながら、生き生きと描き切っている。
ブッダという人物とブッタの説いた仏の道の本質を、読む者の心に強く刻みつける、手塚治虫の並々ならぬ力量を示す代表作。
「ブッタ」1~12巻、手塚治虫、潮ビジュアル文庫、1992
* 独断と偏見
・ 極楽トンボ思うに、ブッタの説いた仏の道の要点は三つ。
第一点: 中道=苦楽の否定: 苦行に専念していても、享楽におぼれていても、真理に到達できない。こだわり・欲をすて無心になる中道の道を行くことによってのみ真理に到達できる。
第二点: 行為の重視: 仏教で後の宗派間の争点となり、他宗教でも同様に争点となっているのが、行(為)と知(識)と信(仰)のなにを重視すべきか。
ブッダが説いたのは利他行為最重視の立場。
第三点: 愛(慈悲): ほとんどの宗教は共通に愛を説いている。キリスト教との比較でブッタの説く愛の特徴を整理する。
まず、その基となる世界認識と愛の対象であるが、キリスト教は世界は人間のために神が創造したものだとし、したがってあらゆる生物をふくむ自然は人間に奉仕すべきだとし、さらに人間のなかでも異教徒は人間とはみなさないため、愛の対象にはならないとする。
これに対しブッダは、世界はあらゆる生命・自然が相互に関係を持ち、それぞれ他に役立ちながらなりたっており、したがって愛の対象には人間はもちろんあらゆる生きとし生けるものがふくまれるとする。
また、バラモン教(ヒンドゥー教)は、愛の対象からカースト(四つの階級)と女性を除外しているが、ブッダはすべてを対象とすべきだと説く。
つぎに愛であるが、キリスト教もその説くところは、見返りを期待せずに他人のために自己を犠牲にする(利他的)行動である。しかし、究極的には、天国に行けるか否かの見返りにつながっている。
ブッダの愛は、そうした意味では究極的にも見返りをなんら期待しない利他的行動である。一般的にはブッダは愛の見返りとして極楽を約束したと理解されているが、これは後に後継者たちが言い出したことで、ブッタは極楽が存在するかどうかの問いに対しても、一切口を閉ざししている。
・ ブッタの死後、仏教は数多くの宗派に分裂し、それが中国・日本刀などにも伝えられ、さらに多くの宗派を生み出した。
このため、今日ではブッダが説いた仏の道とは何だったのかが分からなくなっている。手塚治虫の「ブッダ」は、その本質を原始仏典を読む以上に、豊かなイメージ語っている。
今日に伝わる諸宗派の仏教をブッタがみたら、「これは私の説いた仏の道ではない」というに違いないのだ。