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2006年11月30日

「11月度例会」

・ 今回は、「横浜市における地域包括支援センターの現状と課題」についての報告と意見交換を中心に行われた。
・ 現状: 地域包括支援センターの運営状況については、この12月1日で、地域ケアプラザ106箇所、特別老人養護ホーム10箇所計116箇所の地域包括支援センターを設置済みとの報告がされた。
 また職員の配置状況は、保健師(ふくむ看護師)117名、社会福祉士108名、主任ケアマネージャー105名、計330名となっている。
 地域包括支援センターの「介護予防支援」(要支援者のケアマネージメント)の5月~10月の実績は、地域包括センターで直接実施した件数10352件、居宅介護支援事業所への痛く件数1083件、合計
21435件となっている。
・ 「11月度例会」 2006年11月27日 
 講師:横浜市健康福祉局高齢健康福祉部介護保険課担当係長 梅沢厚也

・ 地域包括支援センターの役割としては、1)介護予防支援業務(要支援者のケアマネージメント)、2)総合相談支援業務(各種相談・地域のインフォーマルなサービス資源との連携など)、3)権利擁護業務(虐待、悪質商品販売対応など)、4)包括的・継続的ケアマネージメント支援業務(ケアマネージャー支援・地域のネットワーク構築など)がある。
 今期の活動実績を振り返ると、ほとんど1)の介護予防支援業務(介護予防計画の作成)集中し、2)~4)の役割が手薄になっているのが課題である、との報告がされた。
* 意見交換
(意見)・ 介護保険の保険料負担、高齢者は健康保険と同じように収入に応じて料率を決める(行報酬者は現役とどう負担)ようにした方がいい。また、利用時の負担も同様の考えを導入したらどうか。
・ 加入者向けの市からの文書、言葉が難しすぎてお年寄りには分からない。変えないと。
・ 利用者自身が介護サービス事業所を比較検討し、選択できるようにするため導入された介護サービス情報公表制度の負担金約10万円で高すぎる。
(意見) 介護サービス情報公開制度を上手く活用するには、比較評価がポイント。高齢者に直接評価・判断しろというのは無理。そこを誰がどうやってやるかをはっきりさせ、体制を構築していかないと。それは自分たちの仕事だと思っているが。
(意見) 地域包括支援センター形は整ったが、全体的に見れば狙いどうり機能しているところは少ない。
中には上手く行っているところもあり、上手く行っているところのやり方の違いを分析し、それを水平展開していけば全体のレベルが上がる。
(意見) 地域包括支援センターをその狙いどうり機能させていくためには、地域のインフォーマルな組織を含めたネットワークつくりが重要。行政の立場でもそうした施策・努力が必要。
(意見) 行政に文句を言っているだけでは問題は解決しない。この会も、やり方を変え、政策提言を自ら行うようにしていかなければならないのでは。
 地域包括支援センターを機能させていくための第一歩は、自分の住んでいるところのケアセンターに隣組を誘って出かけて行くこと。
(意見) ケアマネージャー・地域包括センター自身も見受けられるのは、おいしいところのサービスの抱え込み。難しく・時間の少ない割の合わないものを外に出すという、やってはいけないことがやられている。
(市) 現在、コンピューターで介護サービスの提供実態が一覧できるシステムを開発中。これが完成すれば、それがチェック出来るので、指導を行っていく。
* 独断と偏見
・ 日本の名高き「箱物」行政が、福祉領域でも健在なりとの印象。
 ケアプラザという箱を作り、人(保健師・社会福祉士・主任ケアマネージャー)の配置は完了したが、全体としてみると、魂は入っておらず、目的を達成するための知恵(計画)も行動力もないという実態。
・ これらは住民にとって必要なものであり、今後ますますその必要性は高まる。
 そのニーズは、行政の怠慢を非難していることによっては充足できない。唯一の現実的な選択肢は、住民が起爆剤の役割を担い、自らインフォーマルを含めたネットワーク作リ行いながら、地域包括センターを機能させるような環境を整えていくことなのだろう。

2006年11月21日

第四回「戦場の医師ハッサン・バイエフーー戦争・平和・人権」

 第四回は「戦場の医師ハッサン・バイエフーー戦争・平和・人権」だった。
・ 今回の講師の医師ハッサン・バイエフは、第一次ならびに第二次チェチェン戦争下で六年間負傷者の外科治療にあたり、亡命を余儀なくされ現在はアメリカに在住している。
・ チェチェンとは: 北コーカサス地方に位置し、南をグルジアと接する以外は周囲をロシアに囲まれている。400年以上の歴史を有し、古代からの伝統を守リ、独自の文化・習慣・言語を持つ約100万人の人口の民族。産業は石油関連工業が発達している。
・ 第一次チェチェン戦争は、1994年12月に勃発約一年半で終結した。第二次チェチェン戦争は1999年9月に勃発泥沼化している。
・ 第四回「戦場の医師ハッサン・バイエフーー戦争・平和・人権」    2006年11月18日

・ チェチェン戦争の理由としては、1)エリツィンとプーチンの大統領選挙対策・戦争遂行による利権確保を目指す軍部・情報機関の存在、2)石油資源とカスピ海油田からのパイプラインがチェチェンを通過しているため,ロシアの石油利権確保があげられる。
・ バイエフ医師によると、第一次チェチェン戦争も悲惨だったが、このときはまだ医療・人権などの各種国際支援団体やジャーナリストが滞在を許されていたため、支援も得られたが、第二次チェチェン戦争ではこうした国際支援団体の滞在も許されず、残虐性において大幅に悪化した。
 この結果、12年間の戦争で、100万人のチェチェン人のうち25万人が死亡・行方不明となり、50万人が亡命を余儀なくされている。
 また、都市だけではなく国の全域にわたり人の居住区は破壊され、インフラもほぼ全壊状態になっている。学校・病院の八割が破壊された。このため人々の生活は困難をきわめている。
・ チェチェン戦争は、ロシアが攻撃対象はテロリストの拠点との発表を広く行っているため、そう受け止めている人が多いが、事実は、攻撃の対象になっているのは一般市民。
・ バイエフ医師は戦争が始まってからの六年間にわたり、銃撃を受ける病院で負傷者の治療にあたった。そのピークには、48時間一睡もせずに67件の手足切断手術7件の頭蓋切開手術を行った。
 あまりの負傷者の多さに、薬品・医療器具も2~3ヶ月で底をつき、毎日訪れる20=40人の負傷者の治療を知恵を絞り、日常品を活用して行った。手術用の糸の代わりに裁縫用の糸・消毒薬の代わりに食塩水・麻酔薬の代わりに鎮痛剤・手術用鋸の代わりに家庭用糸鋸を使用など。
 異常時には,人間の体は,平常時とは異なった反応を示し、生き抜く力を備えているということを学んだ。抗生物質を投与できなくても、化膿せずに傷が治る。手足の切断手術うけた患者が、歯を一本抜いたのと同じような感じで手術室を立ち去るなど。
・ 今年2月に6年ぶりに1ヶ月ほど国に戻ってきた。チェチェン人の顔は、戦争を映しており、見るのがつらかった。人々の顔は皺・白髪に覆われ、顔を見て年齢を判断するのが難しかった。6年間に改善は基本的には見られなかった。
 復興活動もロシアからの予算と石油利益の一定割合を原資として始まっているが、腐敗がひどく、お金が注ぎ込まれても、その行き先が分からず、復興に結びついていない。
 学校・病院のごく一部(全体の数パーセント)が修復されたレベルで、人手も足りず(亡命・死亡)なかなか進まない。
・ 残された最大の問題は、将来を背負う子どもたちの問題。戦争のショックによる神経症1万人以上,手足切断1万4千人、失明2千人、耳が聞こえない400人などで結核にかかっている子供も多い。
 最優先で、子供たちへの治療・教育の取り組みが必要。子供の病院を支援するため、アメリカの友人たちと「チェチェンの子供達国際委員会」を設立した。
・ 日本人への期待は、まず無関心ではいてほしくない。そして、ほんの少しの支援でもチェチェンの人々にとってはかけがいのないものであり、1)子供への支援、2)若者の教育、3)人道支援をお願いしたい。
* 独断と偏見
・ チェチェンの状況については,日本ではほとんど報道されることもなく、たまに報道されてもロシア政府の発表にそった「テロリスト拠点攻撃」という内容だった。
 今回、実際に戦争を経験し、多くの負傷者の人命を救ったバイエフ医師の話は生きた情報でインパクトも大きかった。
 チェチェン戦争は、ロシアによって仕組まれたチェチェンの植民地化、そのためのチェチェン人虐殺に他ならない。
 このことは、最近の二つの事件、「チェチェンの真実」を報道し続けたアンナ・ポリトコスカヤ記者の10月7日の暗殺、チェチェン戦争は「ロシアの自作自演」との暴露をしたイギリスに亡命中の元FSB(連邦保安局)中佐リトビネンコの11月1日の毒殺未遂事件によっても強く裏付けられた。
・ われわれに出来るのは、バイエフ医師もいうように、チェチェンに関心を持ち自分に出来る支援を行うことだろう。

2006年11月17日

第十回「市民がつくる地域社会 ブラジル・ポルトアレグレの挑戦」

・ 第十回は「市民がつくる地域社会 ブラジル・ポルトアレグレの挑戦」だった。
・ ブラジルでは、1)国家による社会の侵食、2)市場による社会の侵食、3)制度改革の失敗に対応するため、1980年代以降多元的な経済制度を創造するため、1)参加型予算(国家改革)、2)連帯経済(社会の進化)、3)企業の社会的責任(市場改革)などが導入されてきた。
・ ポルトアレグレは、人口140万人のブラジル第二の州都で2001年の世界社会フォーラム発祥の地である。
 ブラジル全体の上記動向を、ポルトアレグレは先頭に立ち実践しており、その取り組みの紹介が行われた。
・ 第十回: 講師 小池洋一(ラテンアメリカ研究家)           2006年11月14日

・ ブラジルにおける国家・社会による社会の侵食とは具体的には以下の内容である。
1)国家による社会の侵食: 非効率な経済、財政赤字、ハイパーインフレ、対外債務、政治腐敗。
 2)市場による社会の侵食: 失業、雇用の非正規化、分配の不公正化、環境破壊。
 3)制度改革の失敗: 不徹底な改革、改革の失敗、誤った改革。
・ 多元的な経済制度の創造とは、
 1)国家改革: 労働者党政権下での参加型予算(1989年以降)、カルドーゾ政権下での国家改革のマ スタープラン(1996年)、社会自由主義国家路線(イギリスのブレアの「第三の道」にきわめて近い)によ る社会投資国家・積極的福祉国家=教育による社会的包摂。
  参加型予算の背景としては、選挙民の意向に沿わない行動を議員がとるエージェンシー問題、
 腐敗、行政サービス質・量の低下という代表民主主義・行政の機能不全がある。
 2)連帯経済: 失業・雇用の非正規化など市場経済が生み出した問題を解決するため、連帯経済が
 生み出された。
 原理は、自主・参加・協同・民主・平等・学習・持続性など。
 形態は、協同組合・自主管理企業・アソシエーション・交換クラブなど。
 支援組織には、教会・NGO・大学・行政など。
 3)企業の社会的責任(CSR): 企業の生み出した諸問題に対応するため活動として、
 + IBASE(NGO)による社会会計: 80年代に法制化されたフランスの事例等を参考にしながら、従 業員の福利厚生・税金/年金の負担・マイノリティ/女性の採用・株主/従業員への利益配分を指数 化し発表。
 + サンパウロ証券取引所の社会株式取引所: 社会貢献を取り引き、株価は貢献度で決定。
 + 社会的責任投資(SRI): 企業の年金基金が中心で、投資基準として社会的責任を採用、2340
 億ドル(GDPの17%相当)を投資。
* ポルトアレグロの実践
・ 参加型予算: 代表民主主義・行政の機能不全を補完し、予算の効率的・効果的支出、社会的包摂
 を実現。地域別(16地域)と分野(テーマ)別の二本立てで直接参加型で討議し、提案をまとめ議会に提
 出し、最終的に決定する。
・ 連帯型経済; カトリック教会、職業支援センターなどのNGO/NPOと州/市などの行政の支援を受
 けながら連帯経済活動が行われている。
 縫製協同組合(UNIVENS)の事例では、仕事は縫製・食品・外食・金属加工などであり、組合員25名(2004年)で、公設市場などで販売、職業支援センターなどの支援を受けている。
 連帯経済の課題としては、1)経済的に利益を継続・安定的に出していくためには集団学習による革新が必要、2)市場経済の中で生き残る力=製品の価格/質・労働力の質/賃金をつけるなど。
・ 企業の社会的責任: 地方政府として、社会会計の法制化を実施。
* 独断と偏見
・ 参加型予算: 代表民主主義が機能していないという点では日本も相当なものだ。このまま議会(既存政党)・行政に任していたのでは、ラチがあきそうにない。
 しかし、参加型予算については、人口の少ない国・地域だから出きるので、日本のように人口の多いところでは無理だとの意見が多い。
 本当にそうだろうか?全員参加だけが直接参加型ではないはずだ。日本にあった方法論は知恵を出せば必ずあるはずだ。
・ 連帯経済: ポルトアレグレの連帯経済は、協同組合の数が多く歴史を持つという特色を有するものの、全体として見ると、市場経済の中の脆弱な「島」であるとの説明があった。
 今回の事例を見る中で感じたのは、連帯経済を市場経済の中で確固たる「島」にしていくには、効率を上げ、競争力を高めるだけではなく、「共生原理」で行った方が市場原理に任せるより向いている領域に集中していくという戦略が必要だろう。
 具体的には、エネルギー(Energy)・食糧(Food)・介護(Care)の三領域である。
 日本でも痛感するのは、連帯経済の「島」をもっと多く・広くしていかねば良くならないということ。
介護領域では日本でも連帯経済のウエイトが高まって生きつつあるように思われるが、エネルギー・食糧領域での加速が望まれる。
・ 企業の社会的責任(CSR): 日本でも昨今、企業の社会的責任を無視した,安全・健康(食・欠陥商品・耐震偽装・アスベスト問題など)、粉飾決算、談合、残業代不払いなどの労働問題が生じている。
 日本でも市場原理主義的な考え方が強まるにともない、こうした問題が増えているように見受けられる。もともと、「市場主義」には、「正義」「公正」「公平」の追求は含まれていない。
 これだけ企業の不祥事が多いということは、日本でも、企業が社会的責任指標基準作成・評価・公表などの社会的な仕組みで,企業が社会的責任を果たすよう誘導する仕掛けが必要なのだろう。