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2006年10月30日

神田・神保町古書街

 10月27日に買った本
・ 「始まりの現象」E・W・サイード、法政大学、1992年
・ 「批評の批評」ツヴェタン・トドロフ、法政大学、1991年
・ 「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」岩波文庫、1954年
・ 「柳橋新誌」成島柳北、岩波文庫、1987年

2006年10月28日

第三回「“未来バンク”の可能性」

・ 第三回は、「“未来バンク”の可能性ー環境問題を経済活動から考える」だった。
・ 内容は、大別すると、1)温暖化を中心とする環境問題の現情、2)エネルギー問題、3)それらの問題への対応策、4)「“未来バンク”」「apバンク」の活動だった。
・ まず、1)温暖化を中心とする環境問題の現状については、アメリカが温暖化による環境問題は起こっていないと主張していることを踏まえ、事実とデータで温暖化による環境破壊の実態を説明する。
 具体例として、アラスカの氷河(地球上の大半の真水量を占める)の後退、カナダの森林大火災(温度上昇による害虫の生存による枯れ木化が原因)、チリのパタゴニアの氷河後退などをあげる。
 温暖化にともなう海水面の上昇は、1900年~2000年で10cm、2000年~2100年で90cmと予測されており、これまでの延長線上ではなく,急加速していく。
 また、日本の場合は、温暖化ガスの93%がである。主体別排出量は、最大が産業で37%、運輸22%、民生(業務)16%、家庭13%などである。
・ 第三回「“未来バンク”の可能性」 講師:未来バンク事業組合理事長 田中優 ,2006年10月28日
 

・ 2)エネルギー問題:
 現在の主要エネルギー石油の「ピークオイル問題」を取り上げる。ピークオイル問題とは、一つの油田の生産量がピークを迎えると、それ以降急激に生産量が低下し、最終的には技術の壁もあり、埋蔵量の約半分しか生産できない(THE HUBBERT CURVE)ということ。
 ここに着目し、石油の発見量(埋蔵量)、消費量、生産量のそれぞれの合計をグラフに描くと、伸び続ける消費と生産のカーブが交差するところ(それ以降は石油が不足する)がでてくる。
 問題はそれが何時起こるか。学者の意見の大半は2010年ごろ、石油メジャーは30~40年後といっている。
 消費は中国の消費量の急拡大(2002年に日本を追い抜いた)などもあり拡大、埋蔵量は今後増える見通しが少ないことから、石油・天然ガスの資源争奪が戦争を作り出す構図が鮮明になっている。
・ 3)環境・エネルギー問題への対応; 
 温暖化ガス対策では、総花的アプローチをやめ、影響度の大きいものに絞込み、それに焦点を当てて対策を打っていくことが効果的。
 具体的には、フロンガスは温暖化効果がCO2の8000倍、代替フロンでも3400倍であり、これの回収(特に自動車のエアコン)を行うことが費用効率もよく有効。
 また、日本の温暖化ガスの93%を占めるCO2は、167事業所で全排出量の50%、上位49事業所は石炭発電所で25%を排出している。この49事業所で、もっとも効率のいい石炭発電所の方式を採用すると排出量は半分になり、12.5%の削減が実現できる。
 電力: ピーク需要が問題。その9割が産業需要で、夏の平日午後2時~3時、31℃以上におきている。現在、産業用電気料金は使用量が増えるほど料金が下がる設定となっているのが問題。これを逆にする、あるいは、ピーク時使用料金を高く設定することにより、解決できる。
 環境・エネルギー問題の基本は、自然エネルギーへの転換。
・ 4)「未来バンク」「apバンク」の活動: 
 運動論的にいえば、従来のタテ型(政治的アプローチなど)とヨコ型(市民同士の連携など)ではなく、ナナメ型、すなわち、全く別の仕組みを考え、現実に新しいやり方をやってみせることを狙っている。
 未来バンクは、1994年に、7人400万円で始めたが、今では1億7千万円の出資額を持ち、累計7億人を貸し付けた。融資対象は、環境・福祉・市民事業で、金利は3%の固定金利。貸し倒れゼロ。単利なので、成長を前提としなくても、返済できる。
 非営利の銀行を市民事業のために設立する意図は、地域に最初の一撃を与えること。地域にお金を持っていくことにより、地域で需要が発生する→地域で生産→雇用・材料調達→地域にお金が落ちる→そこに向けた供給の発生。経済が回りだすキッカケをつくる。
* 独断と偏見
 ・ 「未来バンク」の目的・方法論ともに的確であると思う。今後の方向性についても、住宅向け融資などは、一軒当りの融資額も大きいため、信金などを「未来バンク」的やり方に引っ張り込むことを目指し、「未来バンク」あくまでも地域密着で、こじんまりとこまごまとした事業を支えるという路線も堅実である。
 「未来バンク」の事業は、現在のやり方を継続すれば、上手くいくと思われるが,上手くいかなるとすれば、次の理由によるのだろう。
 1)一件当りの融資額が大きい案件の比重が高くなったとき、2)融資金利が低いということは、預金金利も低いということであり(いいとこ取りはできない)、自覚した資金提供者が増えない。
 「未来バンク」の事業は、事業そのもののインパクトに加え、そのビジネスの理念・ビジネスモデルで社会変革の起爆剤あるいは触媒の役割を果たすことがその最大の存在意義なのだ。
 ・ 環境・エネルギー問題: 今回のレクチャーで良かったのは二点。一点は、問題認識が具体的・定量的にかつそれが的確に行われたこと。二点目は、対策の提案が効果の大きいものに的を絞り、かつ具体的であり説得力を持っていたこと。(アプローチは、QC七つ道具のパレート図の利用だが、一般的に役人・学者の説く対策は、総花的・焦点ボケが多いことを考えると、特筆もの。)
* 独り言
 ・ レクチャー中、、上記のように論理的に筋は通っているし具体的だしと思いつつ、不思議な違和感が残った。
 ・ 何故かを考えてみたところ、思いあたったのは、講師の言っていること(言葉)と表情などのボディランゲッジがアンマッチという印象を受けたための違和感だった。
 ・ 「世の中にはいろいろな人がいるもんだ」と改めて感じた一日であった。

2006年10月25日

第九回「社会的企業の立ち上げと仕組み作りーー ビッグイシューの試みから」

 第九回は、「社会的企業の立ち上げと仕組み作りーービッグイシューの試みから」だった。
・ ビッグイシューは、ホームレスの人々に収入の機会を提供する事業として、1991年にイギリスのロンドンではじまった。
 今回はこのビッグイシューの日本版をいかにして立ち上げたのか、またその現状と将来についてのレクチャーだった。
* 講師は何故ビッグイシューを起業しようと思ったのか、三つの動機をあげる。
 1)個人的動機: 都市・地域問題のプランニングをやっていて、ホームレス問題は都市問題としてとらえて、解決すべきだと考えた。
 2)社会的動機: ホームレス問題は行政も企業も解決できていない問題。またこれを研究している人もほとんどいないという日本の実態のなかで、市民が自ら解決していかなければならないと思い、勉強会から始めた。
 3)国際的動機: 英国ビッグイシューを訪問しその活動を学んだ。
・ 第九回: 講師 (有)ビッグイシュー日本代表 佐野章二

* ビッグイシュー起業への六つの壁
1)専門家100%失敗を保証: 理由は出版不況(活字離れ)とビッグイシューの三重苦、すなわち、
路上で印刷物を売る文化がない、タダで配るトレンド(R25),ホームレスから買う人はいない。
2)ホームレスは働かない。
3)資金は集まらない。
4)若者は路上では買わない。
5)売れる雑誌は簡単につくれない。
6)そもそも日本の路上で雑誌は売れない。
* ビッグイシューと社会ーー市民の反応と支持
1)ビッグイシューの今: 月二回発行、印刷4万部、実売3万部。最大の支持者は20台の女性
(26%)。70%位が固定客。既存の雑誌で、若者の立場で社会問題を扱っている雑誌がないので
そこに焦点あて、若者のオピニオン・リーダー誌を目指している。
2)街角コミュ二テイ(路上販売という仕事): 三つのキツサ=(1)立ちっぱなし(肉体的)、(2)路上で
一人(精神的)、(3)客商売(未経験)
3)ホームレスの自立とは、実現への道とはーー応援・自立への三つのステップ:
・ ビッグイシューは、ホームレスの人だけが販売員になれる雑誌として、2003年9月に発刊され
た。販売員は、一冊90円を現金で仕入れ、200円で販売し、その差が所得となる。
 販売員一人当たりの平均販売冊数はつき50冊。現在約120人の販売員がおり、定着率は40%
で、60%を目標にしている。
・ 自立への三つのステップ: 第一ステップは、「脱路上」、第二ステップは、「住所を持つ」(現在約
50人)、第三ステップは、「新しい仕事」に就くで、これまでに32人が自立した。
* ビッグイシューの経営:
 1) なぜ、NPOではなく、有限会社だったのか: 「必要性」・「正当性」の観点からはNPOでも良かっ
 たが、「事業性」・「結果性」を重視して会社組織にした。
 2) ビッグイシュー財団の設立構想: ホームレスの人たちの自立支援を考えると、雑誌だけでは、第
 三ステップの支援が出来ないという限界があるので財団の設立を検討している。その目的は(1)人と
 人とのつながりの回復、(2)就業トレーニング、(3)文化活動(生きる喜びを見つける)。
 3) 日本で社会的企業の成立、存続は可能か?: 資金は2000万円集めた、内訳は借入金1200
 万円、出資金300万円、市民パトロン400万円、補助金100万円。
  現状の実売3万部では赤字。なんとか実売4万部まで引き上げ採算ベースに乗せ、生き残らせた
 い。
 4) ビッグイシューと社会貢献ーー「衰弱」する社会から敗者復活可能な社会創生へ:
 ・ ホームレス: 大阪だけで約一万人、全国で約二万六千人、95%が男。ホームレス化の理由は、  多重債務・依存症(酒・ギャンブル)・病気など。大半が過去型産業からのスピンアウト組み。
 ・ ホームレス問題: 行政が出来るのは生活保護だが、ホームレスの人たちは何らかの理由で生活
 保護が受けられない人が多く、行政には解決できない。また、企業も他の会社が雇用を打ち切った人
 を何故他の企業が面倒を見なければいけないのかということで、解決できない。
 ・ 社会貢献: ホームレス問題は、「自己責任」と「社会的責任」のバランスをどう取るかという問題。行
 政も、企業も解決できないなら、市民の立場で解決していくより方法がない。そのための手段としての
 ビッグイシュー。
  ホームレスの人たちに所得を得る機会を与え、三ステップで自立させ、敗者復活を果たす支援活動
 がビッグイシュー。
* 独断と偏見
 ・ ホームレス問題を、行政も・企業も解決できない都市問題として捉え、「市民の自己責任」で解決し
 ていくのだという心意気が見事。
 ・ イギリスでの実践というビジネス・モデルはあったものの、文化・慣習の違う日本で事業化し、六つ
 の壁を乗り越えていっている知恵と行動力が成功の鍵。
  路上販売を成功させる裏面での要因は、警察(道交法)とヤクザの粘り強い説得でトラブルを回避でき
 たこと。
 ・ また、日本版ビッグイシューを支えているのは、実売三万冊の約七割を購入する固定客の存在。日
 本でも「自覚した市民」が着実に増えていることが、実例で示されたのは良かったし、この輪をさらに広
 げ、安定して実売四万冊を超え、事業の継続性を保証していけるようエールを送りたい。

神田・神保町古書街

* 10月24日に買った本
・ 「フィールド 響きあう生命・意識・宇宙」リン・マクタガード、河出書房、2004年
・ 「偶然の本質」アーサー・ケストラー、蒼樹書房、1974年
・ 「生命 - その始まりの様式」多田富雄・中村雄二郎編、1994年
・ 「文化の型」R・べネディクト、社会思想社、1973年
・ 「荘子 外編・雑編」福永光司、朝日新聞、1967年
・ 「貨幣論」岩井克人、筑摩書房、1993年
・ 「終わりなき世界」柄谷行人・岩井克人、大田出版、1990年

2006年10月14日

「キンキー・ブーツ」を観る

・ 「キンキー・ブーツ」というのは、「変態ブーツ」という意味で、ゲイの人たちの履くセクシー・ブーツのことを意味している。
・ この映画は、倒産寸前の靴会社の四代目を継いだ若社長が、生き残りをかけて、「キンキー・ブーツ」というニッチ市場に参入し、見事成功するという実話に基づいて制作されたものである。
・ 監督は、ジュリアン・ジャロルド、テレビで数々のヒット作を生み、映画監督初デビゥー、主役の靴会社社長役チャーリーを演じるのは、オーストラリア生まれで舞台・映画で活躍するジョエル・エドガードン、ドラッグ・クイーンのローラ役を演じるのは、黒人で始めて舞台でロミオを演じ、映画でも大活躍の個性派俳優キウウェテル・イジョフォー。
・ 「キンキー・ブーツ」ミラマックス・フィルムズ提供、ハーバー・ピクチャーズ制作、2005年

・ 実話は、ノーザンプトンというイギリスの保守的な田舎町の男物の靴会社の四代目社長が、ポンド高によりピーク時の生産量が三分の一になり、倒産の危機に直面した時に、一本の電話で、「赤いエナメルのサイズ28センチのキンキー・ブーツ」の注文を受けたことに端を発する。
 マーケット調査、デザイン、制作自分で行い、しかもブーツを履いてくれる人間も見つからず、脛毛を剃って自分でモデルを演じることまでやり、ニッチマーケットへの参入に成功、会社の再建を果たし、息子に五代目を継ぐことを楽しみにするまでになリ、イギリスで大きな話題を呼んだ。
・ 映画は、基本的には、実話の枠組みを踏まえながら、ストーリー性をもたせるために、ローラというソーホーのドラッグクイーンを登場させている。
 この工夫により、映画はがぜん面白くなり、かつ見せ、聞かせ、話が転がっている。
・ ストーリーとしては、いくつかの節目がある。
 最初の節目は、父親の急逝により若くして社長の座を継いだチャーリーが、何をすればいいのか分からず、15人の首切りを余儀なくされ、解雇を申し渡す場面で、一人の若い女子従業員から、「どうしようもないじゃないか(What can I do?)と言ってて、どうするの。何とするのが仕事でしょ!」と言われ、社長としての自分の役割に目覚める時。
 二番目は、ヒョットしたキッカケからローラと知り合い,「キンキー・ブーツ」というニッチ・マーケットの存在に気づき、ローラと協力して工場に篭もって開発に当たるが、保守的な田舎町の従業員の理解を得られず、ミラノ・ショーの出品のデッド・ラインに試作品が間に合いそうになくなる時。
 三番目は、ミラノ・ショーの前日、チャーリーのつまらぬ八つ当たりで、ローラを傷つけ、肝心のショーの
舞台に穴が開きそうになる時。
 映画では、いずれも主人公のチャーリーの成長と活躍で危機を乗り越え、ハッピー・エンドで終わるという風に描いている。
・ この映画は、ストーリー、キャスティング、映像(特に田舎の歴史のある靴工場、ソーホーのローラのショー)、歌、無駄がなく心地よい話のテンポのいずれをとっても素晴しく、役者の熱演とあいまって、第一級の映画に仕上がっている。
* 独断と偏見
・ この映画は、実に楽しく、よく出来ていて、かつ感動的である。
 なんといっても圧巻はローラ。黒人の巨漢の歌・踊り、女装をしない場面でも女らしさを出す演技力、工場の現場の中核で町の腕相撲チャンピオンのドンに腕相撲で負けてやり、またミラノ・ショーの舞台にギリギリの場面で登場という男気?もみせる。
 誰が考えたって、この映画の主役はローラなのだ。
 だが、なぜそうなのかと、それにもかかわらず、主人公をチャーリーとせざるをえなかった理由は以下に記そう。
・ イギリス(西洋)では、一人前の人間としてみなされるかどうかの重要な判断基準に「自我の確立」があげられる。
 具体的にいえば、男はあくまでも力強く・論理的で・行動力がなければならず、逆境に直面したら、敢然と立ち向かい、それを克服することが期待されており、こうした考えは現在でも広く一般に受け入れられている。
・ 上に挙げた 三つの節目を乗り越えるためには、主人公の人間としての成長が必要であったというのが、この映画の伝えたい最大のメッセージなのだろう。
 このメッセージを読み解く鍵は、分析心理学家ユングの「ペルソナ」と「アニマ」という概念にある。
 「ペルソナ」という言葉は、もともと古典劇において役者が用いた仮面のことで、ユングはわれわれが外界に対してつける人格的な仮面(自我)という意味に使っている。
 男性の場合であれば、力強く論理的、すなわち、男らしくなければならない。
 第一の節目は、解雇した女性従業員と婚約者から「周りの環境のせいにしないで、あなたは何をするの?」と迫られ、自分の役割を認識、「工場と従業員をまもる」と決意し、そのための行動を取り始める、すなわち一人前の男としてのペルソナ(成熟した自我)を確立する(成長する)ことにより、乗り越えられた。
 第二の節目は、ミラノ・ショーに出品する試作ブーツの製作のデッド・ラインに従業員に残業を断られ、間に合いそうもなくなる時。
 この状況は、なぜ生じたのか?ペルソナの男性面、すなわち「ここにニッチ・マーケットがあるのだから、
残業してでも社運をかけたミラノ・ショーに間に合わせるのは当然」というペルソナ(自我)の男性論理だけでは、人(従業員)は動かせないから。
 この事態を乗り越えられたのは、ローラの働き。ローラは、工場の中核で従業員感情を代表するドンに度重なる差別的言動を受けたにもかかわらず、聖母マリアのごとくこれを赦し、腕相撲大会の決勝で最後に勝ちを譲り、面子を立ててやりながら、「偏見を棄てろ」とささやきドンを変えるという叡智を示す。
 これにより、従業員は、夜を徹して働き、試作品を完成させる。
 第三の節目は、ミラノ・ショーの前夜、チャーリーがローラを傷つけたため、ローラがミラノに現れず、ショーに穴が開くという前夜、チャーリーが電話をかけ、論理で説得しこれが奏功し、ローラのチームがギリギリ間に合い、ショーを大成功させるというのが映画の表面上のストーリー。
 だが、本当にローラがミラノ入りしたのは、チャーリーの功績なのだろうか。これは、チャーリーの論理の勝利というよりも、人間として大きく成長したローラが、ドンに示したようにチャーリーも赦すという寛容さと、「キンキー・ブーツ」を世に出すには、ミラノ・ショーを成功させる以外に方法がないという叡智で自ら行動をおこしたと考えた方が、人間理解は深まるし、話もより楽しめるだろう。
 ローラの人間的成長は、ユングのいうところの「アニマ」の顕現と成長であると考えると理解しやすい。
 ユングは、数多くの心理療法患者に接するなかから、人間は自我(表層意識)だけでは、人間として精神のバランスがとれず、全体のバランスをとるために自我(ペルソナ)の確立にともない、それを補う人格=アニマが登場することを発見する。
 アニマは四段階で順次登場するとユングはいう。第一段階は、生物学的な段階(女の性の面の強調、娼婦のイメージなど)、第二段階は、ロマンチックな段階、第三段階は、霊的な段階、第四段階は、叡智の段階である。
 チャーリーがローラに出会った最初の段階が、この第一と第二段階に相当し、第三段階が、ドンとチャーリーに傷つけられたローラが二人を赦すところ、第四段階が、ドンを協力させるように変えたり、ショーを成功させるためにミラノに現れるという叡智をローラが示すところ。
 「キンキー・ブーツ」市場に参入し、工場を再建するには、チャーリーの全的な人格的成長が必要だったのであり、実話のチャーリーは一人(チャーリーとローラの二人分)でその成長を遂げたからこそ実際に成功したのだろう。
 この映画が、主人公はあくまでもローラではなく、チャーリーだとしているのは、イギリス人(西洋人)の常識(これは実は非常識であり、偏見なのだが)、ヒーローはあくまでも強く・論理的な男でなければならず、アニマ的な女性原理が勝利するなどがあってはならないことなのだ。
 そのため、主人公はあくまでもチャーリー、そしてペルソナとアニマは、チャーリーとローラの二人に分けて、物語を作らざるをえなかったのだ。

2006年10月05日

第八回「平和・教育国家コスタリカと反米化する南米」

 第八回は、「平和・教育国家コスタリカと反米化する南米」だった。
・ 「平和・教育国家コスタリカ」誕生のキッカケは、1948年の内戦にあった。その当時、人口100万人の国で2000人が死亡した。
 内戦終了後、その再発を防止するためにはどうすればいいかの議論が徹底して行われた。
 その結果、内戦を起こりにくくするには、「武器をなくす」そして大量の武器を所有する「軍隊をなくす」ことが有効との結論に達した。
 それを実行に移すため、1949年に自主憲法を制定、「永世非武装・積極的中立」を理念とし、具体的には「常備軍の放棄」を決定した。
 これにより、治安維持のために、警察と2000人の国境警備隊のみを有する平和国家が誕生した。
 第八回: 講師 朝日新聞記者 伊藤千尋        2006年10月3日

・ 安全保障については、自衛権は認め、集団安全保障の観点から、米州相互援助条約に加盟している。
 一時期、隣国のニカラグアがコスタリカに侵攻する動きがあったが、米州相互援助条約が機能し、50年以上戦争に一度も巻き込まれずに、平和を謳歌している。
・ コスタリカは、国内で平和維持に努めているに止まらず、積極的に平和の輸出を行っている。
 アリエス大統領は、内戦中の周辺三カ国を訪問、戦争当事者に直接会い、戦争の愚を説き、戦争終結に結びつけた。
 この実績により、アリエス大統領は、ノーベル平和賞を受賞している。
 また、人口400万人の国に,ニカラグアからの難民100万人を受け入れるという、桁違いの懐の深さを見せている。
・ 「教育国家」コスタリカの誕生は、「平和国家」コスタリカと表裏一体をなしている。
 軍隊放棄は、平和希求の理念と同時に、貧しい国が発展していくには、貴重な予算を軍事費などに使う余裕はないという現実的な判断がある。
 国家戦略としてコスタリカが選択したのは教育(人材育成)重視路線。
 軍隊放棄により浮いた軍事費(その当時の国家予算の30%相当)をそのまま教育費に充当し現在(国家予算の約20%)に至っている。
 この結果世界でも有数の教育レベルが実現、国民の10人に1人が教師免状をもち、「兵士の数だけ教師を」というスローガンを達成している。
・ コスタリカのもう一つの素晴しさは「憲法尊重」。
 小学校入学と同時に、憲法教育が始められる。この教育は、徹底的に実践的に行われ、例えば教師が生徒にある状況を設定し、「自分の立場を守るために、憲法をどう使ったらいいか考えなさい」と指示し、生徒で議論させた後、発表させるなどとなっている。
 この結果、国民は憲法違反で自分の権利が侵害されたと感じた場合憲法裁判所に申し出るだけで、弁護士を雇う必要もなく、調査から全て裁判所が処理してくれるという裁判制度の支えもあり、8歳の小学生を始めとして、年間1万2000人が違憲訴訟を起こしている。
 日本との最大の違いは、憲法が日常の生活のなかで日々活用されていること。
・ コスタリカの課題は経済。政治と教育は一流だが、経済はコーヒー・バナナなどの農業主体の経済であり、経済発展をどうやって達成するかが課題である。
 最近、中南米で初めてインテルがコスタリカに進出したが、これは「教育レベルが高く、緻密な作業が出来る労働力が確保できる」というコスタリカの強みを評価してのことである。
・ 日本がコスタリカから学べるものは何か: 国の発展レベル、規模等の違いが大きく、コスタリカの政策をそのまま日本の参考にすることは現実てきでないが、憲法を日本のように棚上げせずに、国民が日々活用していること、また国民・政府が自ら行動を起こし状況を改善・変化させようとしていることは、日本でも大いに学べるはず、と述べて講師は、プレゼンを終えた。
* 独断と偏見
・ 今回は、日ごろ感じていた日本の問題を、具体的に写す鏡を提供されたという意味で、有意義であった。
 平和の担保については、軍隊を放棄しても、自衛権保有は宣言しつつ、集団安全保障体制なしには平和は維持出来ないとの現実認識を踏まえ、米州相互援助条約に加盟した。
 軍隊放棄実施後、ニカラグアがコスタリカを侵攻する動きを見せたが、この集団安全保障条約が機能し、防衛軍派遣の動きを示したため、ニカラグアは侵攻を断念した。
 また、周辺国で戦乱が続けば、負けた側が難を逃れて自国に流入、これを追った勝利軍が国境を越えて襲来、いつ戦争に巻き込まれるか分からないとの現実認識の下に、周辺三ヶ国の内戦停止を働きかけ、これを実現させた。
 理想論と現実論のバランスの良く取り、かつそれを実現する行動力を合わせ持つ。
 日本の状況を大きく括ると、現実認識で自衛権・集団保障に必要を認めない勢力(=現実認識の欠けている)がいまだに存在し、他方自衛権・集団保障の必要性を認める勢力は、現状に甘んじ、将来のあるべき姿を描き・その実現に向けて行動を取っていくという理想を欠いている。
* 独り言
 ・ 今回の講師の話の中で、そのおおらかさに、極楽トンボが大いに感心したところが二点あった。
 ・ コスタリカの失業率について質問したところ、「調べたことがない」との回答であり、これが意味するものは、「下々にとって、政治の最重要課題の一つが雇用問題である」との認識に立っていないとの講師のスタンスを示すものと受け止められる。
 ・ 二点目は、「税金をどう使うかが、政治のフィロソフィーの問われる一番重要なところである」というおおらかな発言。
 「税金をどこから・どのくらい取り、それを何に・いくら使うかは、政治の基本的な機能である」と思うのだが?
 政治の一番大事なところは、「どんな国を目指すのかのヴィジョンを明確に示し」(安倍さんみたいに「美しい国日本」というのは、文学的抽象論にすぎず、ヴィジョンとは言えない)、それを、どんな基本的考え・理念で実現していこうとするのか、ここがフィロソフィーの問われるところなのだ。
 ・ こんな細かいことを言っていたのでは、「いい極楽トンボにはなれない」と、大いに反省した一日であった。

2006年10月04日

「時をかける少女」を観る

・ この映画は、筒井康隆の原作に大幅に手を入れた物語をアニメ化したものである。原作は文庫本で約110ページの短編で、ストーリーも骨組みのみといった話であるが、映画化にあたり、ストーリーに膨らみを持たせ、アニメの絵の完成度も極めて高く、稀にみるレベルの傑作となっている。
・ 原作を生かしているのは、二人の親友の男子高校生と一人の女子高校生の友情(と恋愛)、そのうちの一人が未来から時間を飛ぶ(タイム・リープ)能力で現代にきており、その能力を少女に伝える。二人の間に友情を超えた恋心が芽生えるが、未来での再会を予感(期待)させながら、少年は未来に帰る。
・ 「時をかける少女」監督: 細田守、原作: 筒井康隆、脚本: 奥寺佐渡子、角川映画

・ この手の映画のストーリーの詳細を紹介するのは、マナー違反なので、ストーリー面で原作をうまく発展させている部分を2・3挙げてみる。
 主人公の少女(紺野真琴)が、自分に時間を遡るという特殊能力を身に付けたらしいという戸惑いを感じて、相談するのが30歳代独身の叔母芳山和子(通称魔女、原作の主人公)。彼女がタイム・リープについて説明してやり、また映画の最後の方でこの叔母の高校時代の写真(男子高校生二人に挟まれた)が映され、原作を読んでいない観客にも、この叔母にも同じような(タイム・リープも)高校生時代があったのだ感じさせることなどをふくめ、全体としての物語に厚みを加えている。
 超常現象を扱った話の腕の見せ所は、いかにそれを自然に起こりそうと思わせるかにある。この物語で言えば、タイム・リープ能力をえるということは荒唐無稽そのものなので、その潜在能力を発現させるキッカケの説得力ということになる。
 原作のきめの粗さにくらべ、映画では、そのキッカケを、坂を全速力で自転車に乗って駆け下って来て、止まりきれずに踏み切りの遮断機にぶつかり、電車に轢かれそうになるという場面に設定している。
この場面設定により、度重なるタイム・リープがごく自然にここで行われることになる。
・ 映像面でも評価大いに大である。
 超常現象を自然に見せる映像面のポイントは、日常生活をいかに丁寧にかつリアルに描ききるかにある。このため、映画では、原作になっかた高校ならびに主人公の自宅での生活に相当の時間をかけて映像的にも美しく描くことに成功している。
 このベースの上に、タイム・リープならびに時間停止というアニメの見せ所の映像が生み出される。
 これらの超常現象の場面もアニメの特性をうまく使い、タイム・リープ中ならびに時間停止中を自然にかつきわめて丁寧に描くことに成功している。
* 独断と偏見
・ この映画は、原作のメッセージ「青春(子供から大人になる間)の友情・恋は人生に一回限りの素晴しいものであり、その青春は時代を超えて受け継がれていく」を正面から受け止め、原作を完成度では大きく超えて映像化に成功している。
・ この映画を観てすぐに思い浮かんだのは、「ゲド戦記」との対比。
 「ゲド戦記」は、ストーリー的にも原作の味も香りも感じさせない、映像的にもアニメの特性を生かしきれない、期待はずれの大駄作だったのに対し、「時をかける少女」は、ストーリー面でも原作を超え、映像面でもアニメの特性を生かしきり、大傑作になっている。

2006年10月02日

神田・神保町古書街

 9月19日に買った本
・ 「明恵 夢を生きる」河合隼雄、京都松柏社、1987年
・ 「明恵上人集」久保田淳・山口秋穂校注、岩波文庫、1981年
・ 「こどもの本を読む」河合隼雄、講談社α文庫、1996年
・ 「トムは真夜中の庭で」フィリバ・ピアス、岩波少年文庫、2000年
・ 「食糧破局」レスター・R・ブラウン、ダイヤモンド、1996年