« 2006年08月 | メイン | 2006年10月 »

2006年09月28日

「9月度例会」

・ 今回は二つの活動報告が行われた。
 最初が、「ふれあいボランティアパスポートについて」で講師は、さわやか福祉財団・ふれあいボランティアパスポート・プロジェクト・リーダーの有馬正史氏、二つ目が、「横浜市との協働事業について」で講師は、NPO法人ふれあいドリーム理事長の島津禮子氏だった。
* 「ふれあいボランティアパスポート」活動
 ・ 歴史: この活動は四年前にスタートした。目的は子供たち(小・中・高生徒)にボランティア活動に取り組んでもらうこと。そして、その活動を起こすきっかけを作り、かつ活動を記録するために、パスポートサイズのボランティア手帖を作成・配布し、活動後は感想部分のみを回収している。
 「9月度例会」 2006年9月25日

 活動開始後最大の悩みとなったのは、このパスポートは学校の先生を通じて配布・実績管理・回収を行うことから、先生の協力が欠かせないこと。そして、生徒たちのモチベーションを大きく左右するするのが、先生が関心を持ってくれ、褒めてくれるかどうか。しかし、先生たちは多忙を極めており、この活動になかなか力を入れられないという現実に直面した。
 そこで、子供たちのモチベーションをアイディアがいるということで、活動終了・報告時に自分の選んだ先に寄付をスポンサー企業が出してくれる制度に変更した。
 ・ 活動状況: 2005年は約70校8500人が参加、2006年はこれまでのところ(9月スタート)40校5000人が参加している。
 生徒にとってのモチベーションは、相手から「ありがとう」と感謝の言葉をかけられること、街の清掃などは「きれいになったという達成感」が共通。
 先生の協力も深まる傾向にある。
* 「横浜市との協働事業」について
 ・ 背景: 昨年講師の住むドリーム・ハイツを含む約30箇所で横浜市戸塚地区懇話会が実施され、住民の困りごとの吸い上げが行われた。この結果、各地区共通で、1)居場所がない(定年退職後)、2)相談するところがない(育児、介護もろもろ)、3)情報がほしい(子育て支援、給食サービス、ケア・マネージャーなど)の声がそれ例外に圧倒的な差をつけて大きかった。
 ・ ふらっとステーション・ドリームの発足:
 そこで、ドリーム・ハイツの住民で話し合ったところ、市の助成が得られなくても自分たちでこれらに取り組もうという機運が盛り上がり、たまたま商店街の一角に空き家が出たところから、話が具体化した。
 活動としては、上記ニーズに応えるため、1)居場所作り(飲み物、ランチの有料提供)、2)各種相談3)情報提供(市からも来てもらい)を行うこととした。
 運営は、すでに活動を行っていた3NPO(介護・ふれあい活動、高齢者サロン・予防デイ活動、高齢者向け食事サービス活動)が協働で行うこととし、人手はボランティアでまかなっている。
 最大の問題であった費用(家賃・改装費・電気・ガス・水道代など)は、有志の出資と売り上げでまかなうこととした。
 昨年の12月に、市の助成をあてにせずに見切り発車で「ふらっとステーション・ドリーム」をオープンした。その後、市の助成を申請し、認可を受けたため、2006年4月より市との協働事業に切り替えて運営している。
 利用者は、スタート時、昨年の12月は400名台、2006年7月からは1000名を超え、増加中であり、利用者にも好評で、期待以上の利用状況である。
 このため、収支面でも、飲み物・ランチなどの売り上げで、ほぼ費用をまかなえるまでになっている。
 また、ドリーム・ハイツ内にある障害者の作業所で働く人たち週一回来てもらい、一緒にランチを食べている。そうすることにより障害者に目に見えて社会化が起こり、はっきり成長しているのがわかる。
 また、この作業場で作っている製品をこのステーションで売り、障害者の収入を増やす一助としたい。
 将来に向けての課題: 市の助成は最大2年で打ち切られるため、その後どうするか。最終結論ではないが、基本的な方向としては、事業化し、コアに人はキチンとお金を払って、やっていけるようにして行きたい。
* 独断と偏見
 ・ 「ボランティア・パスポート」:
 生徒にとって最大のモチベーションは、「先生の褒め言葉」。これ自体は当然のことであるが、日本の場合その背景を分析すると、日本特有の問題が浮かび上がる。
 日本特有の問題とは、1)学校で褒めてもらえるのは、勉強と運動の良くできる子だけ、2)先生が生徒の一人の個性・人格をしっかいりと把握・認識していない(英語でいうところのrecognitionの問題)ということ。
 これは、日本の教育の根幹の問題である。
 1)は、人間を評価する何を物差しとするか、すなわち価値観の問題である。日本の評価軸は圧倒的に勉強軸、大分差があって次が運動軸。私が実際に経験したイギリスの例でいえば、評価軸は限りなく多様で、キチンと挨拶が出来る、後片付けがうまい、親切・やさしい、歌がうまいなどなどと続き、勉強が出来ることは、それらと同等レベルの一つの評価軸に過ぎない。
 2)は、教師の仕事とは何かの基本にかかわる問題。教育の目的が生徒一人一人の個性・潜在能力を最大限に伸ばし、自立できるようにすること、にあるとするならば、教師の仕事の出発点は、生徒一人一人に暖かく・かつ鋭い目をそそぎ多面的な物差しで評価し,それを生徒とコミュニケートすることであろう。
 ・ 「横浜市との協働事業について」
 ドリーム・ハイツの活動で関心したのは、住民たちの基本スタンス。「自分たちにニーズがあるなら、行政などに頼らなくても自分たちでやろう」という自己完結型の自立精神と実践力。
 この原動力となっていると思われるのは、ハイツで新たなニーズが生じるたびに、保育所開設から始まった自分たちで解決するという活動の積み重ねの実績。
 現在10のNPOが活動し、住民6000人の内ボランティア活動に運営責任をもって参加している人130人、メンバー530人と、住民の約一割がボランティア活動を行っているというボランティア活動超先進地域なのだ。
 また、一番感銘を受けたのは、作業場で働く障害者を週に一回ランチに招き、みんなと一緒に食事をとっていること。これにより、障害者は社会化の機会を与えられ、地域の住民に暖かく見守られながら、着実にに障害者が成長している。
* 独り言
 ・ 安倍新内閣が発足し、「教育改革」を目玉とするとのアドバルーン打ち上げられている。
 「教育改革」の本筋は、生徒の一人一人の個性・潜在能力を最大限伸ばし、自立能力を付けさせること。
 生徒にとっても、日本にとっても、求められているのは、「金太郎飴」人間ではなく、個性豊かな「桃太郎軍団的」異能・異才人間なのだ。
 ・ ドリーム・ハイツの活動報告を聞いて、嬉しくかつ希望を見出せたのは、日本がこれから進むべき道が、現実になっている、ということ。
 共生社会の輪を大きく・強いものにしていくことによって、日本は活き活きとしかつ調和の取れた社会になっていくだろう。

エックハルト説教集」を読む

・ エックハルト(1260年ごろ~1328年)、ドミニコ会総長代理、パリ大学神学部教授、信者大衆の導きと、学問・宗務・霊的導きの三役を精力的に果たし、活躍した人物である。その教説の透徹さゆえに「ドイツ神秘主義の眼(まなこ)」と称された。
 エックハルトは生前に異端として告発され、その死の翌年(1929年)教皇 ヨハネス二十二世により異端宣告を受け、これによりその著作および説教の聞き書き写本の一切が禁止・処分され、エックハルトは歴史の表舞台から姿を消していった。
 しかし、エックハルトはドイツ神秘主義の祖として、その影響を後世のマルチン・ルター、フィッテ、ヘーゲル、シューペンハウアー、ニーチェ、ハイデッカー、ルドルフ・シュタイナー、マルティン・ブーバーなどにも及ぼす。
 「エックハルト説教集」田島照久編訳,岩波文庫,1990年

* エックハルトの説いたところ
 ・ 結論を要約すると、人間は有(自我・意志・知性を有する状態)を離脱して、真に無(自我・意志・知性を完全に無くした状態)になることによってのみ神と合一し至福を獲得できる、ということ。
 ・ これだけだと分かりにくいので、補足すると、人間は本来、認識を基礎とする自我・意志・知性を有している。しかし、人間が、これらの全てを用いて紙との合一のみを求めて、一切の世俗の欲求を断ち、聖人としての生活を送っても、神に近づくことはできない。なぜなら、、自我・意志・知性の全てを用いて神との合一を求める(有の状態の)人間には、時空を超え、永遠・無限である神でさえ、その有が邪魔になって入り込むことが出来ないからである。
 人間が、自我・意志・知性を全て棄て去り、すなわち、有の状態から離脱し無の状態(一切の束縛から解かれ自由になった状態)になったとき、これをエックハルトは「人がどんなものも持たない極限の貧しさ」の状態と呼ぶのだが、ここに神の働く場が生まれ、神が顕在することにより、神と人の合一がはかられる。
 ・ 以上が、エックハルトの説くところであるが、「離脱は、離脱を離脱してこそ離脱である」というような言い方であり、「神秘主義家」の面目躍如たるところであるが、本人も自分の言っていることを理解できるのは、ごく一部の人であろう、と述べている。
* 独断と偏見
 ・ エックハルトの説教の難しさは、本質的には、「神秘主義を言葉で説明し、理解させる」という論理矛盾に敢えて挑戦せざるをえない、ということから生じている。
 ・ エックハルトは、それに加えて、困難の度を増さしめたのは、彼の前提としている論理構造にある。
すなわち、アリストテレス、プラトンに端を発し、キリスト教もそれを受け入れ、後にデカルト、ニュートンに受け継がれていった「二元論」にある。
 二元論に立って、神秘主義を説明するのは、不可能命題と言えるだろう。
 ・ 「神秘主義を言葉で説明する」という論理矛盾ともいえる試みは、歴史の長きに渡って世界中で行われているが、相当なレベルで成功を収めている例が数多く東洋思想においてみられる。
 エックハルトの説くところは、仏教の中観思想の概念・用語を用いると、理解が容易になると思われる。
 エックハルトの言うところの自我・意志・知性を有する状態というのは、仏教でいうところの「煩悩」であり、これは虚妄であり、したがって無価値である。
 この状態は、本質的価値が不在という意味で「空」である。仏教でいう「空」は「無」ではない。喩えていえば、菓子折りに菓子(絶対価値)が全く入っていない状態が「空」である。
 エックハルトのいう自我・意志・知性が有の状態とは菓子(絶対価値)の代わりに煩悩(自我・意志・知性)が状態であり、菓子が入る余地がない。
 自我・意志・知性が離脱し人間の魂が無になった状態は、菓子折りが完全に空になった状態なので、
(遍在する神がただちに)菓子折りいっぱいに菓子が入る(神が顕在し、神と人間との合一が実現する)(仏教的にいうと、絶対価値=仏が充溢する=不空となる)ことになるということなのだろう。

2006年09月21日

第七回「オランダ型ワークシェアリング」

 第七回は「男の働き方も変えた!オランダ型ワークシェアリング」だった。
・ 講師は、日本の現状を、次のように指摘して話を始めた。
 歴史的に、日本の労働市場は、妻付き男中心に構成されてきた。これは、家事・育児・介護などが社会化されていない環境下で、男(夫)はこれらの仕事を妻に全面的に依存(=専業主婦化)することにより、安心して外に出て仕事に集中できることを意味し、一方雇用者も男(夫)に妻・子供を養える世帯賃金を支払うことで家庭は成り立っていた。
 こうした条件下では、女・子供(若者)は、働きに出ても一人前扱いしてもらえず、賃金も男(夫)に世帯賃金を支払っているという前提で大幅な格差がつけられ、働きにくい社会になっていた。
 80年代以降の円高・バブル崩壊・グローバライゼーションの進展にともなうメガコンペティションなどを背景に、90年代以降危機感を深めた企業は、従来は声域であった男(所帯主)のリストラに着手、同時に正規上従業員の非正規化をすすめた。
 この結果、女(主婦)が外に働きに出て収入を得る必要性が高まる中で、急速に所得格差が拡大、15~25歳の若年層の40%が非正規雇用化し、ますます働きにくくなるという事態が生じている。
 こうした問題を解決するのに参考になると思われる、オランダのワークシェアリングの成功事例が次に紹介された。
 講師: 朝日新聞記者 竹信三恵子  2006年9月19日

・ オランダは、歴史的には、ヨーロッパの中では比較的最近まで専業主婦が多かった。しかし、70年代以降リストラの嵐が吹きまくり、異常な高失業率となった。
 しかし、福祉国家として手厚い社会保障制度が確立していたため、失業者へのシワ寄せは比較的軽かったが、財政破綻が深刻な問題となった。
 こうした背景のから、失業者を減らし、かつ女性も社会に進出・収入を得るニーズが生じ、その解決の必要が認識された。
 オランダで転機をもたらすきっかけとなったのは、1982年の政・労・使三者のワーセナー合意である。
 これは、1)賃金凍結(労)、2)雇用確保(使)、3)減税(雇用増による社会保障費用の減少分を原資に)(政)を三社でコミットしたものであり、これを踏まえ、具体的施策としてオランダ型ワークシェアリングがスタートする。
 環境整備面では、1996年の労働時間差別の撤廃(例えば、集40時間勤務と16時間勤務で有期雇用契約としたり・賃率で差をつけてはいけない)、年金・最低賃金・教育訓練面での差別撤廃、保育インフラの整備、2000年労働時間を決める権利の法制化などが行われた。
 この結果、オランダ型ワークシェアリングとして、例えば、一つの仕事を、週3日の人と2日の人、あるいは午前の人と午後の人で分担することが可能になった。
 オランダ型ワークシェアリングは、働く人にとっては、自分が働きたい時間だけフルタイムと同じ条件
(賃金・福利厚生・期限付きでない雇用期間)で働けるし、使用者にとっても、ほとんど費用負担の増加なしにこれを実施できることからスムーズに導入が進んだ。
 収入面では、従来は男(夫)が週5日働いて5の収入を得ていたとすると、ワークシェアリング導入後は、夫が週4日働いたとしても収入は4、妻が3日働くと収入3、従って世帯収入は7となり5から2増えることになり、男でも週5日働かない人が増えている(=女性の社会進出の機会が増えている)。
使用者にとっても、費用増無しに世帯収入の増加による消費拡大が期待でき、国にとっても失業者の減少・主婦の労働力化による社会保障費用の減少・税収増が期待でき、政・労・使三者とも利益を受けることになる。
・ 現在日本でワークシェアリングは導入されているのか?
 2000年に経団連が日本的ワークシェアリングとして「賃下げをともなうワークシェアリング」とのアドバルーンを打ち上げた。
 また、「非正規雇用の拡大」「分社化」などをワークシェアリングと言う一部の人たちがいる。
 上記のいずれもワークシェアリングとは言えない。
・ オランダを参考にそれでは日本は何をなすべきか?
 まず、現在の日本の状況と1982年時点でのオランダの状況の異同を整理する。
 所帯主のリストラを含む高失業率、主婦の社会進出ニーズ、育児インフラの未整備、政府の財政危機は類似。
 オランダは福祉国家として手厚い社会保障制度は確立していたが、日本はソーシャル・セーフティ・ネットワークが未整備な中で、リストラと非正規化が急速に進行し、格差問題があわせて浮上しているところが異なる。
 したがって、日本がやるべきことは、財政危機下といえども、メリハリを付けて、社会保障制度の充実によりソーシャル・セーフティ・ネットワークの整備、育児インフラの確立、労働時間差別の撤廃、年金・最低賃金・教育訓練などの差別撤廃などの環境整備を政・労・使で実施し、企業レベルでは、労使で日本型ワークシェアリングの具体化を精力的に話し合い,導入いていくこと。
 * 独断と偏見
・ オランダ型モデルの成功要因を分析するにあったては、押さえておかねばならぬポイントが二つある。
 一つは、欧米の社会では、「同一労働(仕事)・同一賃金」という大原則の合意形成が歴史的にできているという点。したがって、労働時間差別などの諸差別撤廃のハードルが、日本と比較すると相当低いと思われること。
 二つ目は、90年代のヨーロッパの国々では、社民政権が政権をにぎっており、政府の失敗(大きな政府による行き過ぎた福祉国家の追求が財政破綻をもたらした)と市場の失敗(行き過ぎた市場原理主義が、失業・格差拡大・ソーシャル・セーフティ・ネットワークの切捨てなどにより、弱者救済が置き去りにされ社会正義上の問題を引き起こした)の反省から、第三の道(政府の失敗と市場の失敗を是正する新しい道)を目指すことで国民的合意がはかられていた。しがって、社会正義(弱者救済)と活力ある社会作りの実現という基本理念が共有されており、この基盤の上にワークシェアリングの取り組みを乗せられたこと。
・ 日本でやらなければならないこと:
 最初にやらなければならないのは、国の進むべき基本方向をキチンと決め、国民で共有すること。
 日本における政府の失敗と市場の失敗を整理し、日本における第三の道を明確にすること。現在与野党とも的確な問題分析をふまえたヴィジョンが打ち出せておらず、国民レベルでの合意形成ができていない。
 ワークシェアリングに入る前に,次に,やらねばならないのは、格差問題の整理である。
 最近、日本でも「格差問題」が大きく取り上げられているが、団子で議論されることが多いため、問題の核心が見えにくい。
 日本で「格差」で最大の問題は、同一企業(組織)での同一職務(仕事)の「正規・非正規間」「男・女間」での大きな格差の広汎な存在である。社会正義の観点からは、原則的には「同一労働・同一賃金」とすべきであろう。
 次は、同一企業(組織)での職務間格差の問題である。これについては、使用者が一方的に決めるのではなく、公正(社会正義の観点)と従業員の納得性を考慮した内容と決め方とすべきであろう。
 第三には、一・二とも社会的な原則的考え方と、産業レベル・企業レベルでの具体論が平行して検討されるべきであろう。
・ 日本の場合は、上述のような働くことにかかわる基本ヴィジョン、ソーシャル・セーフティ・ネットワークの仕組みとレベル、仕事と対価についての基本的な考え方などの本流部分の整理・合意形成がまずなされなばならない。
 さもなければ、日本型ワークシェリングの検討もすぐに大きな壁に突き当たるに違いない。

2006年09月07日

第六回「ドイツの市民団体ADFCの挑戦」

 第六回は、「自転車で街を駆け巡る!ドイツの市民団体AFDCの挑戦がテーマだった。
 講師は、交通分野が環境問題と交通事故という社会的に深刻な問題がクロスする場であり、また温暖化の原因となるCO2のここ数年の排出量増加の最大の要因は自動車にあるとの認識から、自動車に替わるオルタナティブの一つとしての自転車に注目したと述べる。
 ・ まず、ヨーロッパの交通市民運動の取り組みが簡単に紹介された後、具体例として、ADFC=「社団法人・一般ドイツ自転車クラブ」を取り上げその活動が紹介された。
 講師: 東京歯科大学助教授 清水真哉、2006年9月5日

・ ADFCに先立ち、1975年に「緑のサイクリスト」という集まりが活動を開始した。交通専門家のヤン・テッペ氏が、連邦規模の自転車ロビーの必要性感じ、尽力を行い、1979年ブレーメンに本部を置いて
ADFCの設立にこぎつけた。
 現在は、ドイツ全16州に支部を有し、会員数11万人、3~4千人の活動家(ツアーのリーダーになったり、旅行の相談に乗ったりする)を擁している。
 ADFCの活動は、大別すると、1)ロビー活動と2)会員へのサービス活動などの独自の活動になる。
1)ロビー活動:
 行政・自治体とのかかわりの基本スタンスは中立。
 連邦レベルでは、1998年から2005年の社民党・緑の党の連立政権下で、自転車交通の国家戦略
「国家自転車交通計画2002-2012自転車に乗ろう」制定、「鉱油税・地域交通財源法からの自転車道・関連設備への支出が認められる(財源確保)」、「通勤控除距離一括制度(税制優遇)」などの成果が上げられた。また、1997年には、道路交通規則が改正され、自転車条項が追加され、自転車の安全・優遇交通政策が施行された。
 地方レベルでは、自転車走行環境改善の王道である、自動車走行量の削減・スピードの低減 ・大型車を減らすことに取り組んでいる。市街地での制限速度を30Kmとする「テンポ30」の指定区間が大きく広がった。居住地と職場をダイレクトに結ぶこと、車道上にではなく専用の歩道・自転車道の整備、自転車交通計画・駐輪場の整備なども働きかけ、成果を上げている。
 鉄道会社にもアプローチし、自転車の近郊電車への無制限持込・インターシティ(特急)への持込(90本)も実現した。
2)独自の活動:
 1981年から、「自転車にやさしい都市」を選ぶ全国プロジェクトを展開。
 1983年には「自転車で職場へ」キャンペーンを連邦環境局の助成の下に開始。
 1984年からは、自転車産業との連携を密にし、良質の自転車を入手しやすくするために、自転車見本市で「今年の自転車」を選んで発表。(1999年で終了)
 自転車ステーション(各都市・各駅の貸し自転車業・自転車修理サービス機能を兼ね備えた駐輪場)の運営への協力。
 サイクリング・ツアーの企画・運営。
 自転車道地図の作成と販売。
 ベッド&バイク:自転車旅行者にとっての好都合なサービスに基準を満たした3500の宿泊施設を冊子にして出版。
 会員(年会費個人38Euro,家族48Euro)向けサービスとして、年一回「自転車旅行」という小冊子発行、会報(世界の交通事情、交通政策かかわる記事、各地の観光情報、自転車旅行者向けの旅行情報など)の隔月配布、ツアーや自転車修理講習会への無料あるいは割引での参加、旅行計画のプランニングなど自転車に関するあらゆる問題についての窓口での相談など。
・ 最後にハンブルグでの自転車ルートの制定および建設、1982年に「もっとも自転車に優しい都市」に選ばれ、現在交通需要の自転車が30%を占めるエアランゲンの事例が紹介された。
* 独断と偏見
 第六回は、違和感の残ったプレゼンだった。その原因は二つのアンマッチにある。
 1)講師の生み出したアンマッチと2)参加者の期待とのアンマッチである。
 1)講師の生み出したアンマッチ:
 講師は冒頭で、自転車を取り上げたのは、「温暖化の原因であるCO2のここ数年の排出量増加の最大の要因である自動車に替わるオルタナティブとしての自転車の位置付け」に注目してであるとのべた。
 ところが、その後一切自転車交通政策が温暖化ならびに全体の交通政策にどう影響する課などの話ははなく、「落ちはどうなってるんだよー」という違和感。
 2)参加者の期待とのアンマッチ:
 「海の向こうのオルタナティブ」参加者の期待を集約すると、日本の閉塞状況を打破するための「政策面・実践(運動)面でのヒントを得たい」になるのであろう。
 ところが、プレゼンでは、現象面の話に終始、交通政策・環境政策面で自転車政策がどういうインパクトを与えるのか、あるいは運動面でネットワーク(人材)作り、連邦・地方政府と市民への働きかけにどういう知恵が出されたのが成果に結びつけたのかなど一切なく、期待とのアンマッチが生じた。
 --- このアンマッチを事前に調整・解消し、コースに反映するのが事務局の仕事。
* 独り言
 今回のプレゼン、特に質疑を通じて分かっちゃたのは、今回の講師に政策面(交通、環境)と運動面でのレクチャーアは、知識・経験上無理があるよなー。
 講師も参加者も、満足度を高め、ハッピーにセミナーを終えるためには、自転車オタクを集め、能書き抜きで「海外ではこんな進んでることやってるよー」という軽い乗りでやってもらう(PARC以外のところで)のが一番。
 

2006年09月06日

神田・神保町古書街

 9月5日に買った本
・ 「文学空間」M・ブランショ、現代思想社、1962
・ 「ユングと共時性」イラ・プロゴフ、創元社、1987
・ 「(身)の構造」市川浩、講談社学術文庫、1993
・ 「明恵上人」白洲正子、講談社文芸文庫、1992
・ 「ベンサム、J・S・ミル」世界の名著49、中央公論、1979
・ 「宇宙との連帯」カール・セイガン、河出書房、1976
・ 「儒教文化圏の秩序と経済」金日申、名古屋大学、1986
・ 「神々の時代」森本哲郎、弘文堂、1960
・ 「本の中の世界」湯川秀樹、岩波新書、1963
・ 「江戸の本屋さん」今田洋三、NHKブックス1977
・ 「堤中納言物語」山岸徳平訳注、角川文庫、1963
・ 「城」フランツ・カフカ、新潮社、1953