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2014年01月08日

2014年狂言鑑賞

1.「萬狂言 冬公演」国立能楽堂、1月5日           **
 : 「鍋八撥」野村万蔵、野村太一郎、野村万禄、「酢薑」野村萬、小笠原匡、「蝸牛」野村万禄、吉住講、野村万蔵
2.「1月横浜狂言堂」横浜能楽堂、1月12日          *
 : 「伯母ヶ酒」野村太一郎、野村万蔵、「悪太郎」野村万禄、野村万蔵、山下浩一郎
3.「2月横浜狂言堂」、2月9日                   *
 : 「佐渡狐」竹山悠樹、内藤蓮、月崎晴夫、「泣尼」石田幸雄、中村修一、月崎晴夫
4.「3月横浜狂言堂」、3月9日
 : 「土筆」山本則孝、山本泰太郎、「禰宜山伏」山本則孝、若松隆、高沢皆生
5.「4月横浜狂言堂」、4月12日
 : 「文山賊」月崎晴夫、竹山悠樹、「鈍太郎」石田幸雄、深田博冶、高埜和憲

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2015年01月13日

2015年狂言鑑賞

1.「1月横浜狂言堂」1月11日: 「解説」炭光太郎、「三本柱」野村万蔵、小笠原匡、野村太一郎、能村晶人、「蝸牛」野村万禄、河野裕紀、吉住講
  炭光太郎の「解説」は、初心者(約1割の狂言を初めて観る人)むけに、狂言の実際の動きを交えての説明で、分かりやすかった。「三本柱」はストーリー・動きとも単調で今ひとつ盛り上がりに欠けた。「蝸牛」は、それに比べればストーリー・動きとも複雑で楽しめた。「蝸牛」は2回目の鑑賞だったが、前回のものより、演技に工夫・切れがあり、観客の盛り上がりもあった。2曲に共通していたのは、謡・踊りのウエイトの高さ。狂言の源流が田楽にあるということを感じさせられた公演であった。
2.「萬狂言正月本公演」1月12日: 「解説」野村万蔵、「鶏聟」野村拳之助、野村萬、「鎌腹」小笠原匡、野村太一郎、山下浩一郎、「奈須与市語」野村虎之助、「三人片輪」野村萬、野村万蔵、井上松次郎、野村又三郎
 野村万蔵の解説は要点(筋と見どころ)をおさえて分かりやすくて良かった。「鶏聟」は人間国宝と孫(野村万蔵の15歳の次男)との共演が微笑ましい出し物。「鎌腹」は話の勢いで「鎌で腹を切って死ぬ」と言って納まりのつかなくなった太郎の演技が見もの。小笠原匡の公演が光った。「奈須与市語」は、野村万蔵の長男虎之助(18歳)の披き(初演)で、野村萬が後方で鋭い目つきで見つめていたのが印象的だった。「三人片輪」は、和泉流狂言の3派の役者の共演。今回の公演は傘寿を超えた野村萬の後継を育て引き継いでいくという強い意志の現れが伝わってきた。野村家の将来の屋台骨を担う孫2人を登場させ、同時に和泉流3派の共演を盛り込んだ。孫2人は、豊かなポテンシャルを示すと同時に成長の余地も大いにありと感じさせ、これからの精進が楽しみ。

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2016年01月11日

「2016年狂言鑑賞」

1.「横浜狂言堂1月公演」1月10日  **
 : 「解説」野村万禄、「二人大名」(大名)能村晶人、(大名)野村虎之助、(使いの者)野村万蔵、「宝の槌」(太郎冠者)野村万禄、(主)野村万蔵、(すっぱ)河野佑紀
 : 野村万禄の「解説」は粗筋に加え、分かりにくい台詞の説明をするという親切なものだったが、面白みがなかった。その理由の一つは、「芸談」的な要素がなかったからか?狂言は2曲とも良く知られた演目だが、今ひとつ盛り上がりに欠け、観客の反応もあまりよくなかった。
2.「萬狂言冬公演」1月24日  ***
 : 「解説」能村晶人、「二人袴」(聟)野村眞之介、(親)野村万禄、(舅)小笠原匡、(太郎冠者)野村虎之助、「素囃子」、「節分」(鬼)野村万蔵、(女)山本則孝、「木六駄」(太郎冠者)野村萬、(茶屋)善竹十郎、(主)能村晶人、(伯父)野村万蔵
 : 「解説」は、今回の特色である「大蔵流・和泉流異流共演」と演目の粗筋を中心としたもので、無難。「二人袴」は観客も大いに盛り上がった。その要因の大半は、野村眞之介(野村万蔵三男)を聟役に起用したこと。見るからに子どもなので、親に同行を頼む聟の心細さ・ぎこちなさ、しかし聟なので太郎冠者には主人的立場での物言いをするというギャップが演じなくても出ていた。「節分」は野村万蔵・山本則孝が力を入れて演じたが、今ひとつ盛り上がりに欠けた。「木六駄」は、野村萬の熱演に観客が素直に反応し、大いに盛り上がった。特に大雪の中12頭の牛を追って峠を越えるという設定をその姿が目に浮かぶように演じる力量は見どころがあった。和泉流・大蔵流二流交流という異色の企画も良かった。

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2017年01月08日

「2017年狂言鑑賞」

1.「横浜狂言堂1月公演」1月8日  ***
 : 「解説」能村晶人、「樋の酒」(太郎冠者)野村万禄、(主)小笠原匡、(次郎冠者)野村万蔵、「六地蔵」(すっぱ)小笠原匡、(田舎者)河野佑紀、(すっぱの仲間)能村晶人、野村拳之介、野村万蔵
 : 「解説」今回は舞台そのものについての説明に力を入れていた。「樋の酒」はまあまあの出来。「六地蔵」は、分かりやすく、動きも大きいので、大いに観客が沸いた。
2.「横浜狂言堂2月公演」2月12日  ****
 : 「解説」高野和憲、「入間川」(大名)野村萬斎、(太郎冠者)岡聡史、(入間の何某)深田博治、「宗論」(浄土僧)高野和憲、(法華僧)内藤連、(宿屋)飯田豪
 : 「解説」は、分かりにくいセリフなどに焦点を絞っていたのがよかった。「入間川」は、萬斎らしい工夫が随所に見られ、楽しい狂言に仕上がって観客も大いに沸いた。今回に新工夫は、名乗りを正面舞台の中央の一番前で行う、その一方で橋掛かりも自由に使い、舞台を広く使うことによって動きの大きな出し物に仕上げている、台詞に溜めを創ることによってメリハリをつけ、滑稽味を増していることなど。「宗論」も同様な工夫が随所に見られ、大いに観客を喜ばせていた。いつみても、今一番切れもあり、楽しませてくれるのは満載の舞台。

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2018年01月16日

「2018年狂言鑑賞」

1.「横浜狂言堂一月公演」1月14日  ****
 : 「末広」(果報者)山本則秀、(太郎冠者)山本泰太郎、(売り手)山本則俊、「素袍落」(太郎冠者)山本東次郎、(伯父)山本則孝、「解説」山本東次郎
 : 「末広」は代表的なおめでたい出し物。「素袍落」は、山本東次郎が演じる太郎冠者の振る舞いに、会場は大いに沸いた。「解説」の山本東次郎は、「狂言」の奥深さを何としても観客に伝えようという熱意、的確な表現で、いつも感心させられる。今回は、「狂言」は人間の愚かさを描くが、それだけで終わらせず、「末広」では、最後に機嫌を直し、太郎冠者を許し、逆に二人の絆を深めて終わるというところに狂言の本質があると指摘。

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2019年01月16日

「2019年狂言鑑賞」

1.「横浜狂言堂1月公演」1月13日 ****
 : 「武悪」(武悪)山本則孝、(主)山本則重、(太郎冠者)山本凛太郎、「福の神」(福の神)山本東次郎、(参拝人甲)山本則重、(参拝人乙)山本凛太郎、「解説」山本東次郎
 : 「武悪」は初見だったが内容も特色・見所があり、今まで観たなかで最長(65分)で良い曲を見せてもらった。「福の神」は新年らしいおめでたい曲。「解説」はいつも道理の熱のこもった素晴らしいものだった。今回は、「武悪」の解説に時間を割き、現代人にはわかりづらい動作に込められた意味などを説明。
2.「横浜狂言堂4月公演」4月14日 ***
 : 「解説」茂山千之丞、「左近三郎」(狩人)茂山あきら、(出家)茂山茂、「察化」(太郎冠者)茂山千之丞、(主)茂山茂、(すっぱ)松本薫
 : 「解説」は襲名後横浜狂言堂初登場の千之丞。父を飛び越えて自分が「千之丞」を襲名した事情、作品解説、茂山家の狂言の特徴をポイントをよく抑えていながら、観客を笑わせながらの出色の出来。「左近三郎」はまあ上出来。「察化」は千之丞がとぼけた味を上手く出して熱演、会場を沸かせた。

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2020年01月15日

「2020年狂言鑑賞」

1.「第十回東次郎家伝十二番」1月13日 ***
 : 「麻生」(麻生の何某)山本東次郎、(頭六)山本則重、(下六)山本則秀、(烏帽子屋)山本修三郎、 「庵梅」(お寮)山本泰太郎、(女)山本則孝、山本則重、山本凛太郎、寺本雅一、山本則秀
 : 「麻生」: 訴訟のため信濃の国から京に来ていた主従が裁判に勝ち、正月を迎えるという目出度い狂言。主従はそれぞれ長所・短所を持っているが、それをそれぞれが補い合い仲良くやっているという
如何にも狂言らしい一曲。「庵梅」は笑いの要素の一切ない曲。年老いた尼が住む梅が咲く庵を歌の弟子が訪れ、歌を詠み、舞を舞い、酒を酌み交わして一日を楽しむ。能で描く「老い」とは全く違う、その時を精一杯楽しみながら生きるという、狂言の世界観を表す。

「2020年狂言鑑賞」

1.「第十回東次郎家伝十二番」1月13日 ***
 : 「麻生」(麻生の何某)山本東次郎、(頭六)山本則重、(下六)山本則秀、(烏帽子屋)山本修三郎、 「庵梅」(お寮)山本泰太郎、(女)山本則孝、山本則重、山本凛太郎、寺本雅一、山本則秀
 : 「麻生」: 訴訟のため信濃の国から京に来ていた主従が裁判に勝ち、正月を迎えるという目出度い狂言。主従はそれぞれ長所・短所を持っているが、それをそれぞれが補い合い仲良くやっているという
如何にも狂言らしい一曲。「庵梅」は笑いの要素の一切ない曲。年老いた尼が住む梅が咲く庵を歌の弟子が訪れ、歌を詠み、舞を舞い、酒を酌み交わして一日を楽しむ。能で描く「老い」とは全く違う、その時を精一杯楽しみながら生きるという、狂言の世界観を表す。