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2006年07月28日

「実利論」を読む

 ・ 本書はカウティリヤの著作と伝えられる「アルタシャーストラ」の全訳である。アウティリヤはマウリヤ王朝を創始したチャンドラグプタ王(紀元前317~293年ごろ在位)の名宰相であったとされる。
 本書の成立をめぐっては、著者ならび成立年代について、カウティリヤ本人によって紀元前4世紀に書かれたという説から、紀元後3~4世紀に別人によって書かれたとする説まで諸説がある。
 本書を通読すると、明確に全体の構成を意識した一人の作者によって書かれたもので、諸説の寄せ集めではないことが、感じ取れる。成立の事情についていたずらに詮索するよりも、じっくりと本書を吟味するほうがより「実利的」であろう。
 「実利論」上・下、カウティリヤ、岩波文庫、1984
 

 ・ 本書は副題が「古代インドの帝王学」であり、マックス・ウェーバーがその著書「職業としての政治」の中で、「インドの倫理では、政治の固有法則にもっぱら従うどころか、これをとことんまで強調した---
まったく仮借ない---統治技術の見方が可能になった。本当にラディカルな“マキァヴェリズム”---
通俗的な意味での---はインドの文献の中では、カウティルヤの“実利論”に典型的に現れている。これに比べればマキァヴェリの“君主論”などたわいのないものである。」と述べている。
・ 以上のように述べると、「実利論」は、マキァヴェリを上回るプラグティックな政治手法を中心に述べた書と受け取られるかもしれないが、それは間違いだ。
 本書は単なる政治手法の書ではなく、経済や法律に関し、さらには学問、王宮、建築、宝石、金属、林産物、武器、秤と桝、空間と時間と単位、紡績、織物、酒造、遊女、船舶、牛、馬、象、旅券、賭博その他諸々の事項に関し、多様な情報を与えてくれる、百科全書的な書物であり、古代インドの社会や文化を知る上での貴重な資料なのである。
 ・ 「実利論」は、バラモン教の教えをその基本としている。すなわち、四姓(バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの各カースト)と四住期(学生期、家住期、林住期。遊行期)の決まりが遵守されていれば世間(の人々)は繁栄し滅びることはないという考えをベースとしている。
 そして、王が行うべきこと、すなわち政治は、「王の幸福は臣民の幸福にあり、王の利益は臣民の利益にある。王にとって、自分自身に好ましいことが利益でなく、臣民に好ましいことが利益である」との認識に立ち、「王杖を全く用いぬ場合は、魚の法則(弱肉強食)を生じさせる。即ち、王杖を執る者が存在しない時には、強者が弱者を食らうのである。王杖に保護されれば、(弱者も)力を得る」として、弱者を含めた人々の幸福を保証することを王道として説いている。
 人生の三大目標法(ダルマ)実利(アルタ)享楽(カルマ)のうち、「実利こそが主要である」とカウティリヤは言う。何故なら実利は法の根であり、また享楽を果とするからである。
 ・ そして、法と実利と享楽をもたらし、守護し、非法と不利益と憎悪とを滅するために、あくまでも冷徹にそれを実現するためになすべきことを、王の長官の任命と監視、立法と司法(違反した場合の罰則をふくむ)と執行、外交、戦争(軍事)、内外での諜報活動などあらゆる分野でなすべきこととその手段を網羅的・体系的に述べる。
* 独断と偏見
 ・ 本書にまず圧倒されるのは、その間口の広さと奥行きの深さ。
 冒頭でいきなり学問論を始める。「学問は、哲学とヴェーダ学と経済学と政治学である」と言い、哲学を独立した学問の一分野であるとする。
 間口の広さ・深さの一例をあげれば、第二巻長官の活動で、地方植民・城砦の建設にはじまり、人間のほぼ全ての経済活動領域を対象にその内容と何をなすべきかが的確に・生き生きと描写され、その当時の人々の暮らしが鮮やかに脳裏に焼き付けられる。
 ・ 「ラディカルなマキァヴェリズムの書か?」: マックス・ウェーバーがその責を負わねばならないのだろうが、この問い自体が間違っている。「実利論」は「君主論」の1000年以上前に書かれており、「マキァヴェリ」を物差しとして測ろうというのは失礼な話。
 マキァヴェリズムを「どんな手段でも結果として国家の利益を増進させるなら許されるとする考え方」と定義すると、「実利論」はマキァヴェリズムではないとカウティリヤは答えるであろう。
 何故なら、「実利論」で述べられている手段(行動)は、法・実利・享楽の実現を阻害している要因を除去するものにすぎないのだから。
 ・ 「行動の書」: 「実利論」は実現すべき国の姿のヴィジョンを明確に持ち、そのために各領域でなすべきことが具体的にかつ網羅的に述べられている。そこが単なる権謀術策の書と大きく異なる。「実利論」で一貫しているのは、行動をとることによってしか目標は達成できないとの視点に立ち、空理空論を述べるのではなく、全て具体的に行動レベルでなすべきことを説いていること。
 ・ 「日本の政治(家)」は?: 「実利論」から日本の政治(家)の現状に目を転じると、その落差の大きさに愕然とする。「これ(実利論)に比べればマキァヴェリの“君主論”などたわいないものだ」と言ったマックス・ウェーバーは、日本の現状を何と評するだろうか?
 「コメントに値せず」ということになるであろう。800兆円という膨大な財政赤字を出して、日本の政治家と役人は何をやりとげたのか?長年にわたる平和な民主主義政体下で。
 カウティリヤは、王権下でも「弱肉強食」を防止し、三大目標である「法」・「実利」・「享楽」を実現し、人々に幸福をもたらすのが政治の使命だと、説いているのだ。
 「それぞれの国は、その国民の身丈にあった政治(家)しか持てない」という真実を直視するなら、日本は「国民の一人一人が“実利論”に学び、目指すべき目標を一人一人が明確にし」、それをお互いに持ち寄り、「共通の目標として共有し、それぞれの役割に応じた行動を取っていく」ことによってしか、現在の閉塞状況に風穴を開けることは出来ないのであろう。

2006年07月27日

第五回「北欧のエネルギー・デモクラシー」

 第五回は、「北欧のエネルギー・デモクラシー」がテーマだった。
 ・ イントロとして、自然とエネルギーをめぐる1970年以降の時代の流れが紹介された。
 1970年代: ローマクラブ「成長の限界」で地球資源の有限性が指摘されたときに,くしくも973年に第一次石油危機が起き、石油資源依存からの脱却が叫ばれ始め、原子力論争、ユートピア的技術の自然エネルギーの模索が行われた。1979年にアメリカでスリーマイル島原発事故が発生し、原子力は政治的に選択肢とはなりえなくなった。
 1980年代: 石油代替エネルギーの追及、R&D段階の自然エネルギー。
 1990年代: 温暖化などの気候変動顕在化ーー京都議定書など新しい環境政策の登場、自然エネルギー普及の成功事例の登場。
 2000年代: エネルギー・セキュリティ: 多様な社会的価値を背景にしながら、自然エネルギーが「本流」へ。
 講師: NPO環境エネルギー政策研究所所長飯田哲也、2006年7月25日

 ・ 次に、スウェーデンにおける原発の動向が報告された。1963年に商業炉操業後,1980年国民投票で原発廃止を決定、1999年に最初の原子炉閉鎖が行われた。国民投票の意義として、「アンチ」から「ステークホルダーによる対話」へと変化したこたが報告された。
 ・ デンマークにおけるエネルギー政策の変遷として、1976年のエネルギーシナリオで政府案と政府案と市民案が提示され、以降政府案は市民案を常に意識しながら、1985年の原発導入計画放棄を含め、一人当たりエネルギー消費量を減少させながら豊かな社会を目指す取り組みが紹介された。
 ・ 自然エネルギー「本流化」の成功事例としてドイツの風力発電が取り上げられた。ドイツでは、1990年に自然エネルギー電力の固定価格制導入により風力発電が爆発的に増加、2004年末発電能力1663万KW/年(日本90万KW)と二位のスペインの約二倍とダントツの世界一位。また、雇用面でも17万人の雇用を創出し、自動車産業を上回る最大の雇用産業となり、大きな成果を上げている。
 ・ もう一つの成功事例として、スウェーデンのバイオマスエネルギーが紹介された。スウェーデンでは、石炭・石油・LPGなどの石化燃料に環境税か課せられ、自然エネルギーへの誘導策の存在、豊富な木材資源を生かした木材チップによるバイオマスエネルギーの急激な拡大、1990-2000年の間の年平均の増加量は小型原発一基分に相当している。
 ・ 最後に「エネルギー事業施策」から「生活者のためのエネルギー政策へ」ということで、日本のエネルギー政策は「エネルギー供給者施策」であり、地域や市民の視点が欠落してきたとの指摘がされた。
 家庭での暖房は、世界で例を見ない石油(の生だき)ストーブ・電気ストーブなどが主流で、エネルギー効率・環境の両面から問題の多い日本の現状と、輻射暖房中心の欧米型の比較がされ、講師がかかわる「グリーン熱ストーブ」の紹介が行われ、プレゼンが終了した。
 * 独断と偏見
 ・ 一時間半のプレゼンを聞き終わっての印象は、「見事に肩透かしをくった」。
 最初の一時間は、イントロの自然エネルギーをめぐる1970年代~2000年代の歴史。残り三十分は、上記のスウェーデン・デンマーク・ドイツのイントロ部分で終了。
 用意された資料35ページ中説明がされたのは9ページ。触れられなかった部分に「北欧のエネルギーデモクラシー」の各論の具体的部分と「日本のエネルギーに求められる方向」の資料があった。
 つまり、今回のテーマの一番興味(情報価値)のあった部分には、準備はしてあったのに触れないという、まことに不思議なセミナーであった。
 ・ マネージメントとプロ意識: 今回改めて考えさせられたのは,“マネージメント”と“プロ意識”ということ。
 + 講師側: 事務局から依頼があった時に、テーマとその狙い・持ち時間(質疑をふくめ一時間半)しらされている。-- 準備はOK.-- いざ話し始めたら、イントロで大半の時間を割き、本題を大幅にカット。
 ・ 何故そうなったかの推測:(前提)講師はプロであり、一時間でどの程度の話ができるかは経験で分かっている。(35ページの資料を用意した場合、1ページ平均約二分で話を進めなければならない。)
 (分析)最初の1ページの資料に約一時間かけて説明。-- 資料の準備はしたものの、今回のテーマでMUSTで触れなければならないことは何かの事前整理がされていないため、勢いのまましゃべり、話が流れた。-- 結果プロとしての話の優先順位付けとタイム・マネージメント能力に欠けた。
 ・ 求められたもの: 今回のテーマのMUSTの押さえどころは、石油・原子力に替わる環境にやさしく持続可能な自然エネルギーをエネルギー源の柱として育てつつある北欧(スウェーデン・デンマーク)の成功事例を紹介し、日本の進むべき方向の提言に結びつける。
 -- 成功事例の説明の中では、市場原理でやっている部分とそうでない部分、亦その取り組みの内容・運動の特徴をソフト面を含めて整理する。
 ・より具体的に: 時間が足りないなら、上記“求められたもの”に絞って話をする。1970年代~2000年代の歴史、原子力発電の動向の話は、時間がなければ、今回はカットしていいし、触れるにしても簡単でいい重要度。
 + PARC事務局: 講師のマネージメント
 ・ 専門家(学者・研究者・弁護士・建築家など)は、放っておくと、自分のやりたいことを自分のやりたいペースでやるものと心得る。
 ・ したがって専門家を自分たちの企画にそって使うには、強力なマネージメントが必要。
 ・ 資料を受け取った時点で、全部に触れる事はほぼ不可能と判断し、どこに重点を置くかの主催者サイドの意向を伝え、企画に沿った内容にガイでしていくのが、プロとしてのマネージメント。

2006年07月23日

第二回「演劇をとおして学ぶ持続可能なまちづくり」

 第二回は、「演劇をとおして学ぶ持続可能なまちづくり」というテーマで、ワークショップ形式で実施された。
 最初は、初対面の14名の参加者がゲーム的に名前を呼び交わしていく動きからスタートし、徐々にジェスチャア(演劇的要素)を高めていき、横浜で見かける人(個人個人で)、テレビで見かけるコマーシャル(3グループで)などを演じ、当てさせる。
 こうしたウオーミング・アップをへて{まちづくり」の部分に入る。1)横浜のコマーシャル(セールス・ポイント)、2)横浜の課題(市民生活の問題点)、3)2で提起した問題のナ締めの第一歩を、3グループに分けて議論・まとめさせたものを演じさせる。(2)3)は同じメンバーで)
 講師: ベン・カバンゴン フィリピン教育演劇協会(PETA)事務局長

 二時間半という時間の制約がある中であったが、参加者も徐々に打ち解け、最後のセッションでは、グループの強い結束が感じられたセッションであった。
* 独断と偏見
 ・ 「まちづくり」のための手法としての「演劇」: 企業・NPOなど既存の「機能集団」組織の場合には、理念(目的)、フィロソフィー、目標などが存在し、それがメンバー間で共有され、チームとしての一体感も形成されている。
 ところが、地域社会で新たな課題に取り組むなどのケースでは、さまざまな異なった考え方・バックグランドを持った人たちが集まり、チーム作り、ヴィjジョン・理念形成、目標設定,施策(行動計画)などを同時並行的に行っていかねばならない。
 今回の手法は、地域社会などで新たな課題に知り合い出なかった人々が参加して取り組むなどのケースでは、きわめて有効と思われる。
 ・ 講師のベンさんは、明るく・前向きな性格に加え、豊富な経験に裏付けられた指導力をもつリーダーである。

2006年07月21日

横浜・伊勢崎町古書店

 7月21日に買った本。
 ・ 「ホワイトヘッドの対話」L・ブライス編、みすず、1980
 ・ 「言語論」N・チョムスキー、大修館、1979
 ・ 「資本主義を語る」岩井克人、講談社、1994
 ・ 「ヴェニスの商人の資本論」岩井克人、筑摩書房、1985
 ・ 「情報ネットワーク社会の展開」今井賢一、筑摩書房、1990

2006年07月16日

第一回「カンボジアの人々が主役!シェアの国際保健協力活動」

 第一回は、シェア(国際保健協力市民の会)のカンボジアでの活動内容の紹介。
 セミナーの前半は、カンボジアの地理・歴史・人々の暮らしぶりなどが沢山の写真にくわえ、カンボジアについてのクイズなども交え分かりやすく説明された。
 後半は、シェア・カンボジア事務所の活動の現地での位置付け・役割・具体的な内容が報告された。
 活動の基本は、「カンボジアの人々が主役!」でを理念に、自立して、保健の向上のための目標・施策・それを支える組織・人材つくりを行えるようにすること。
 カンボジア事務所の活動は、プノンペンの北東約50kmの農村地帯で、病院や保健センターへの支援、学校でのエイズ教育、人材育成などを柱に展開されている。
 講師: 植木光 元シェア・カンボジア事務所プログラム・アドバイザー   2006年6月10日

 開発途上国の保健領域の共通の課題である、保健知識の欠如による高疾病率、乳児ならびに母親の出産時高死亡率、家族計画の不備から来る多産と貧困の悪循環などに着実に取り組み成果を上げつつある活動内容が報告された。
 特に印章に残った2~3の取り組みを紹介すると、1)家族計画のための性教育:歴史的・文化的背景から学校で先生がこうしたテーマに取り組むことは、当初到底不可能と思われていたが、その必要性を粘り強く説明し、広く実施されるに至った、2)HIV・エイズ教育:これは今回のセミナーで参加者も実際に経験させてもらったが、ロール・プレイで細胞・白血球・細菌・HIVウイルスの役を演じながら免疫機能とHIVを理解させるというエイズ教育を実施している。また、感心したのは、学校で子供たちに教育を行い、子供たちに家に帰って家族にその知識を伝えさせ教育の普及・徹底を図っていること。
* 独断と偏見
 ・ 国際協力の最も成功している実践例の一つとして感銘を受けた。
 ・ 報告を聞いて、このプロジェクトは「成功するべくして、成功している」と判断した。
 理念: カネだけ出す(そのカネが何に・いくら本当に使われているか把握せずに)、ヒモ付きで箱物だけ作るという多くのODAプロジェクトの悪弊の対極に立ち、「カンボジアの人々が主役!」=「自立・継続」を基本としている。
 人材育成が施策の柱: 保健向上の目標設定,施策の計画・実施ならびに教育を行うのは全て人。保健向上の鍵を握るのは「人」との的確な認識を持ち、活動の柱を人材育成に置いている。
 現地のニーズ/シーズの的確な把握と対応: 失敗するプロジェクトの一つのパターンは、現地のニーズ/シーズを無視し、たとえば日本のやり方をそのまま押し付ける。先の教育の例でも具体的なやり方はカンボジア人スタッフのアイデアを引き出している。また、医療技術の面では、近代的医療機器などない中で田舎の医療従事者にも出来ることにポイントを置き教えていることなどである。
 現地の人に受け入れられるデリカシー: 現地の人の誇りを傷つけることなく、尊重しながら、教えるべきことは教え、水準を上げている。
 自立させるということは、「現地の人だけで、魚を釣れるようにする」ということ。そのためには、「魚の釣り方を教えるために、釣ってみせる」のはいいが、「最後まで自分で魚を釣りつづけてはいけない」。この基本が徹底した取り組みになっている。
* 独り言
 ・ 講師の植木光さんは、1)国際協力の基本理念、2)保健衛生のエキスパートとしての能力(現地のニーズ/シーズを的確に把握、目標設定・施策・人材育成の計画と実施に結びつける)、3)人間力(現地の人たちの信頼を得、リーダーシップを発揮)の三拍子そろった得難いリーダーとお見受けした。
 ・ 植木光さんのような人たちが今回紹介されたようなやり方で国際協力活動を推進すれば大きな成果が上がり、対象国の人たちからも深く喜ばれるに違いない。

2006年07月13日

第四回「インド・ケーララ州の社会運動と地方分権化」

 第四回は「インド・ケーララ州の社会運動と地方分権化」の事例紹介であった。
 インド・ケーララ州は州誕生(1956年)以前、二十世紀初頭の植民地時代、開明君主とキリスト教ミッショナリーの教育活動により女性の識字率が全国平均の2~3倍、自然・資源にも恵まれ、また海のシルクロードの交易地として栄えていた。
 こうした歴史的背景を踏まえ、二十世紀前半ケーララでは、さまざまな運動が継続的に起きた。カースト内向上運動・小作土地改革闘争・協同組合、労働組合、職人組合等の団体結社・ソーシャルキャピタルの蓄積・カースト枠組み(縛り)低下・宗教的対立なしなどの特徴を有し、これらが後の運動の遺産となる。
 講師: 日本福祉大学 斎藤千宏教授、2006年7月11日

 ・ インド・ケーララ州は、2005年の一人当たり州総生産は11936ルピーと全国平均10508ルピーを若干上回るレベルであるが、女性識字率88%(全国平均54%)、出生率1.8(同3.3)、女性平均寿命
76.1歳(同63.1歳)、貧困者の割合15%(同29%)と先進国並の社会指標を達成している。
 ・ 地方制度は、73次憲法改正(1992/93年)により、全国一律の制度が規定され、その骨子は、村自治体(パンチャーヤト)の議員は直接選挙で選出し、任期五年、村民総会の設置、女性に議席の三分の一を留保、開発権限(農林業、漁業、小規模工業、飲料水、灌漑、道路、貧困対策、教育、保険衛生等8分野)が州から地方自治体へ移譲するとなっている。
 ・ これを受け、1994年ケーララ地方法が成立、1995・2000・2005年の三回の地方総選挙が実施され、LDF(共産党主導左翼連合)とUDF(会議派主導統一戦線)の二大政党系で色分けされている。
 ・ 1996/7年LDF政権下でピープルズ・プラン・キャンペーン実施。村民総会で決定した村の開発計画に、州は開発予算の35~40%を割り振る、州政府は生産・インフラ・社会福祉の三分野の割合を指定するなどが1999/00年度から制度化された。
 ・ 2002年に実施された大規模評価の結果は、1)女性・貧困層の状態が改善、2)議員・公務員の仕事ぶりが改善、3)住民の声が開発計画に反映されている、との好結果であった。
 一方、課題としては、1)住民参加は低下する(最初は住民の関心が高いが時間がたつと)ことを前提として、どれだけ自治体の能力を高められるか、2)州レベルでの開発計画のあり方(村レベルではどうにもならない部分における州と地方との連結)が指摘されている。
 ・ ケーララ州で地方自治が成果を上げている裏には、歴史的な諸活動の積み重ねに加え、こうした活動に不慣れな住民と十分な経験と能力を持たない村役場のあいだをつなぐ人たちの存在がある。これらの人たちはほとんどが学校の先生で教育の合間にNPO,NGOとして活動を展開している。
 フィリピンなどではこうした役割を海外のNPO,NGOなどに依存しているが、ケーララではそれを自前で自立して行っているのが特徴となっている。
* 独断と偏見
 ・ ケーララ州での地方自治の実践例は、日本の事業規模・質とは比較にならないかもしれないが、日本に鋭く本質的問題をつきつけている。
 ・ 政治とは何かを一言で言えば、「どこから・いくら税金を集め、それを何に・いくら使うか」ということになる。
 ・ 日本は現在、政府負債が約800兆円・GDPの約1.6倍と、世界の主要国で最悪の財政状態にあり、最近になってやっと財政再建論議が始まったが、小手先の議論で本質には全く触れられていない。
 ・ 直近の岐阜県知事選が端的に示しているように、議員(与・野党とも)・役人・業界が一体となって親方日の丸意識で住民の求めていないものに多額の税金を使うという数十年の歴史の蓄積が他国に例を見ない多額の財政赤字を生み出したのだ。
 ・ 財政再建・地方分権論議の本質は、「財政規律を守り、限られた税金(予算)を有効に使うためには、住民の本当に求めるものに、住民のつけた優先順位に基づいて予算を割り当てる」という基本理念の確認と、それを実行するためのルール・制度・組織などを具体的に決めていくことにあるのだ。

2006年07月12日

神田・神保町古書街

 7月11日に買った本
 ・ 「倫理学」和辻哲郎、岩波書店、1937
 ・ 「民族性の研究ーーアイヌの伝説」青木純二、成光館、1929
 ・ 「未来の生」J・クリシュナムルティ、春秋社、1989
 ・ 「書物との対話」河合隼雄、潮出版、1993
 ・ 「おはなしおはなし」河合隼雄、朝日新聞、1994
 ・ 「芭蕉連句集」岩波文庫、1975
 ・ 「情報の歴史を読む」松岡正剛、NTT出版、1997
 ・ 「“人間復興”の経済を目指して」城山三郎、内橋克人、朝日新聞、2002
 ・ 「サイバーメディア新思考経済」月尾嘉男、徳間書店、1997
 ・ 「楽しき熱帯」奥本大三郎、集英社、1995

193

2006年07月03日

第三回「タイの地産地消ネットワーク」

 第三回は、「タイの地産地消ネットワーク」が、テーマ。
 まず、歴史的背景として、1961年に42%あった東北タイの森林率は1998年に12%に低下、農村の自己完結の崩壊がおこり、輸出を念頭に置いた換金作物の導入により農村が貨幣経済にまきこまれ、歴史的には豊かだった農村が借金を抱え貧しくなっていっているという状況がある。
 今回はこうした状況を打開するための活動として二つの事例紹介が行われた。
 一つは、タイ東北部の農村での「地場の市場づくり」であり、もう一つがカラシン県プアカーオ市の生ごみ収集し堆肥化する「レインボープラン」である。
 第三回:講師: アジア農民交流センター(AFEC)松尾康範氏、2006年6月27日

 「地場の市場づくり」は、換金作物の導入は当初利益をもたらすが、世界的レベルでの競争が始まると価格の急激な低下が起こり借金を抱えるようになったことと農村でも野菜等のかなりの部分を他所から買っているという事実に注目し、自分たちで消費する作物は自分たちで作り地域で消費するため、「むらとまちを結ぶ直売市場」を開催し、安定した食と農業を自分たちで作り出そうという運動である。
 この運動は、タイの農民運動家ヌーケン・チャンターシー氏が日本の地産地消運動にヒントを得、帰国後自分の村で農家直営の朝市を開催、これを日本国際ボランティアセンター(JVC)が1999年からプロジェクトでサポートし運動の拡大と定着をはかっているものである。
 「レインボープラン」は、山形県長井市の生ごみ堆肥化事業。およそ31000人の長井市は、消費者から見るとコメを除く青果物の自給率が5%しかなく、一方農家側からいうと堆肥を作りたくてもその資源がないというニーズから生まれ、市民が行政を巻き込んだ事業として注目されている。
 カラシン県プアカーオ市の「レインボープラン」は、この長井市の事例を参考に2002年から実験的に始まり、他地域にも波及している。
* 独断と偏見
 ・ 今回のプレゼンは、二つの意味で分かりずらかった。
 一つは、「地産地消」の基本理念と将来ヴィジョンである。具体的には、この地産地消運動の市場経済との対比での位置付けである。これは、講師が説明しなかったのではなく、この運動自体が突き詰めていないのではないか、また、これが将来目ざす方向に触れられなかったことにつながっているのではないかと推測した。
 もう一つは、「地産地消」のケーススタディであるが、これが今回の目玉なのだが、定性的な話がほとんどで今ひとつクッキリとイメージが湧かなかった。その村の換金作物導入前の生産作物の種類・量、それが換金作物導入後どう変化し、何が問題として出てきたのか、そしてそれが「地産地消」運動の展開によりどう変化し、何が改善され何が問題として残っているのか。それらを踏まえ、将来に向け何をしようとしているのかを、定性的・定量的に説明してもらいたかった。